那須与一(なすのよいち)とは…



屋島合戦画貼(高松松平家歴史資料、香川県歴史博物館保管)
与一が扇の的を射たのは、『引目秘術』と言われる術であると
那須家に伝わっています。



生没年不詳(いくつか説があるため)で、源氏方の武士です。
与一とは、余一(あまるいち)と書き、今で言うと十一男という意味です。
那須宗隆(宗高、むねたか)、那須氏当主になった後は、父と同じ
那須資隆(すけたか)と言う名前を名乗っています。





◎出身・お墓について

那須氏の居城、神田城(今の栃木県那珂川町三輪)出身で、
お墓は、出生地に近い栃木県大田原市の玄性寺と伝わっています。
墓に関しては、京都東山の即成院、神戸市須磨区の北向八幡神社(那須神社)
岡山県井原市野上町など説があります。

京都の即成院で亡くなり墓が作られ、後に分骨して栃木の玄性寺に墓が
作られたと言う説が有力なようです。
神戸市の北向八幡神社(那須神社)は、こちらで亡くなったと言う別の
説から来ているようで、岡山県井原市(永祥寺)の物は、扇の的を
射落とした功績で、この辺りの土地を荘園として拝領したからのようです。




◎有名な『屋島の戦い』

中学校の国語の教科書にも載っている名シーンです。
先生の授業をきちんと聞いていなかった人は、これを読んで
もう一度思い出してください 笑

【現代語訳】

時は二月十八日、午後六時頃のことであったが、
おりから北風が激しく吹いて、岸を打つ波も高かった。
舟は、揺り上げられ揺り落とされ上下に漂っているので、
竿の先の扇も、とまっていない。
沖では平家が、海一面に舟を並べて見物している。
陸では源氏が馬のくつわを連ねてこれを見守っている。
どちらを見ても、とても晴れがましい光景である。
与一は目をふさいで、

「南無八幡大菩薩、我が故郷の神々、日光の権現、宇都宮大明神、
那須の湯泉大明神、願わくは、あの扇の真ん中を射させて下さい。
これを射損じたならば、弓を折り、自害して、再び人に会うことはできません。
もう一度本国へ迎えようとお思いになるならば、この矢を外させないで下さい。」

と心で念じながら、目を見開くと、うれしいことに風も少しおさまり、
扇も射やすくなっていた。
 与一は、かぶら矢を取ってつがえ、十分に引き絞ってひょうと放った。
与一は体が小さいとはいいながら、矢は十二束三伏で、弓は強い、
かぶら矢は浦一帯に鳴り響くほど長く鳴り響いて、ねらいたがわず扇の要から
一寸くらい離れた所をひゅーっと射切った。
かぶら矢は飛んで海へ落ち、扇は空へと舞い上がった。
しばらくは空に舞っていたが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっと散っていった。
夕日が輝いているところに、真っ赤な日論の描いてある扇が、白波の上に漂い、
浮いたり沈んだりしているのを、沖では平家がふなばたをたたいて感嘆し、
陸では源氏が、えびらをたたいてどよめいていた。

 あまりにおもしろいので、感に堪えなかったのであろうか、
舟の中から、年が五十歳くらいの男で、黒革おどしの鎧を着て、
白柄の長刀を持っている者が、扇の立ててあったところに立って舞いを舞った。
そのとき、伊勢三郎義盛が与一の後ろに馬を歩ませ寄ってきて、
「ご命令であるぞ、射よ。」
と言ったので、与一は今度は中差を取ってしっかりと弓につがえ、
十分に引き絞って、男の頸の骨をひょうっと射て、舟底にさかさまに射倒した。
平家の方は音もしないほど静まりかえり、源氏の方はまたえびらをたたいて
どよめいていた。
「ああ、よく射た。」
と言う人もいれば、また、
「心ないことを……。」
と言う人もいた。






『源平盛衰記』『那須氏系図』によると、屋島の合戦のときは
わずか17歳であると記されています。

夕暮れになり、戦が中断したところで平家は扇の的を出して挑発します。
義経に命じられた那須与一が見事に射とばし、その見事な腕前に
源氏と平家は戦の最中であるにもかかわらず、歓喜に包まれました。



◎那須与一ゆかりの場所巡り記録

こちら→http://ameblo.jp/0327-15210/entry-11956046286.html



◎『与一くん』とは


栃木県大田原市のご当地キャラクターです。
那須与一がこの地で幼少期を過ごしたという記録が残っており、
国重要文化財に指定されている那須神社や、市指定の那須家の墓
などがあります。

大田原付近に住む人々は、幼い頃から那須与一の伝承を大切に守り、
共に成長してきたことが伺えます。
ゆるキャラブームの前から存在している、大田原市では昔から
愛されている人物(キャラクター)です。
その証拠に、2014年のゆるキャラグランプリでは堂々の6位に
入賞しました。

動物キャラや、見た目の可愛らしいキャラクターを抑えて
これだけの投票数を集めるというのは普通では考えられないことです。
私たちが知っているキャラクターという概念を超えて、
大田原市住民のソウルキャラだと思ってください。
ゆるキャラブームとか、そういう類い以前の問題です 笑

与一くんの得意技に一矢必中というのがあるらしいのですが、
かなりご利益があるそうです。
的中率があるとのことで、受験生などに崇拝されているみたいですいて座




◎与一くんのブログ(栃木県大田原市)
こちら→http://o-yoichi.jugem.jp/

◎与一くんのアテンド活動記録
こちら→http://ameblo.jp/0327-15210/entry-11956056753.html

























●参考・引用させていただいた資料、書籍など
平家物語図典・小学館
源平合戦人物伝・学研
栃木県大田原市観光協会HP
合資会社 島村俊商店さんHP
屋島合戦画貼・高松松平家歴史資料、香川県歴史博物館保管