こんばんは、ぼくです。
珍しくすごく複雑な気分なんで更新します。
自分でもよくわからない気持ちなんです。
ちょっと悩みかきます。まじめに。こういうのあまり書きたくないけど
今、僕は「こどもが自信をなくしていくのはなぜか」というテーマのもと、子供のいじめや問題行動、「荒れる」子供への取り組みなどを研究してます(そのうちもうすこしテーマの幅は狭めていきますが)
本や実践記録など様々な文献を目にし、いじめの本質、子供の実態、学校の環境、教師の学校への思い、教育行政の現場への無関心さ。
少しづつ知識が深まる中で、自分の中でさまざまな意見が出てきました。
もうすでに日本の隅々まで浸透している学力社会、そのことを背景に学校でも競争主義が持ち込まれ、子供たちも学力、忠誠競争がはじまる。人格が不安定な少年期~前思春期、思春期の時期にその競争はひと段落し、子供たちの位置づけがなされる。
その中で、落ちこぼれたひとは、なんとかしがみついていこうとする。しかしその時には成績が同じような子や同じ境遇にある子同士でグループを作り出し、その自分からみて身分の低い子供を「異質」なものとして追いやろうとする。
これが「いじめ」の一番簡単なメカニズムであって、これ以外にも、優等生への妬みや、さらに教室全体でグループを構成しある一つの秩序をうみだし、その場のノリで排除しようとする。(このノリが教室全体、学校全体を包むといじめから殺人にもつながる)
そんななかで追いやられようとされる側は、自分はなんでこんな目に合わないといけないのか理解ができないまま不登校、登校拒否になりやすい。
いじめている側の集団もいつ自分がターゲットにされるか怖くて周りに同調しようと必要以上に他人の目をうかがってしまう。
そんな環境の中で、自分の本当にやりたいことを見つけるのは不可能に近いことだし、「将来の夢はありません」という子供が増えているのもうなづける。
やりたいことがなくて、非行に走るケースもある
最近面白い話を聞きました。としきからなんだけど、不登校がちの子供にとっては学校はどうやらつまらない場所であって、それだったら友達、自分が好きな人といたほうがいいって言ってたという話。
そんな環境の中にいる教師や生徒としての自分以外の話を聞きたくて電話越しに聞いてみた父さんや姉さんの意見。
どれもすごく知的で刺激的ですごく面白く感じることができました。
けどなんだかすごく複雑な気持ちになって泣けてきました。
今、自分が取り組んでいる問題は、教師になったら必ずといっていいほど直面する問題で、このような大きな問題に自分みたいな今まで「いい子」の仮面をかぶったやつが立ち向かっていけるはずがないと直感的に感じたからだと思いました。
自分は、本当にいじめられたこともないし、かといっていじめたこともないよな「傍観者」でした。一番いい身分でした。
調べてた通りに、いついじめられるかっていうことも、いつ自分が脱落していくか、いつじぶんがこの友達とはぐれてしまうか、すごく不安になった時もあります。
そのせいか、いつしか自分を内面に閉じ込めて、他人の目をうかがいながら生きてきました。特に高校。
それは、なんとなく高校の時から気づいてたことだし、大学生になってからはそういう自分には絶対になりたくないと思って、なるべく自分の内にある自分をさらけ出すようにしてきたつもりでした。
しかし、まわりを見て、教師を目指す人がほとんどだし、ほんとにみんな自分の本当の気持ちをさらけ出しているのか、本音をいってんのかな、キレイごとじゃね、とか批判的な目で見るうちにそういった自分がまた出てきているように感じました。
このままでは、自分も子供の気持ちを本当に受容してやれる教師になれると到底思えなくて、自分の力じゃまだまだ非行を起こしてまで、教師や社会にメッセージを送っている子供たちには応えてやれないと感じました。
この研究を始めたきっかけというのが、ゼミであるビデオ(ビデオの内容は割愛)をみたということもあるけど、本当は教師になったら、絶対に晃作(高校の時に不祥事を起こして警察につかまってしまった友人)みたいなやつもきちんと学校に通ってやりたいことが見つけれるような環境に変えてやりたい、そういう指導をやっていきたいと感じたからなのです。
しかし、さまざまな知識が入ってくる中で、まだまだ自分には力が足りないことを痛感しました。
教師は「子供の将来の一端になれる仕事」とよく言われます。
自分がこの仕事をこなすのには、まだまだ知識がいります。経験、指導していく現場の力、子供を受容していける心も必要です。
そしてなにより自分自身が一番素直になること。大学生のうちにどこまでできるか。これからの課題になりそうです。