先週9月から勉強してきた「交流分析学」の最終講義でした。
私がブログのタイトル部分の書き込みに記している「人生脚本」のベースになっている心理学です。
人間は生まれてから、関わった大人たちの影響を受け、自分が生きていくための「人生脚本」を書き上げていきます。
7歳には自分の物語の要点をまとめ、こと細かに完成させます。
そしてその脚本に沿って、人生を生きていくといわれています。
どんな「人生脚本」を自分が書き、ここまできたのか…それを紐解いていく5ケ月間、正直めちゃめちゃ面白かった♡
そこで今日は、これまでプロフィール欄に簡単にしか記してこなかった、子供の頃に一番影響を受けた母との関係を書いてみたいと思います。
いつもより長くなるかもなので、気長に読んでみてください(*^-^*)
「母親に褒められた記憶はありますか?それはどんなふうにでしたか?」
「母親に叱られた記憶はありますか?それはどんなふうにでしたか?」
自分の脚本を紐解いていく上で、そんな質問のワークがありました。
時間をかけて思い起こしていきます。
でも残念ながら、私は母に褒められた記憶があまりありませんでした。
逆に叱られ、なじられ、けなされ…とっても怖くて、母に怯えて生活していた記憶の方が残っています。
母は、裕福でない家庭の7人兄弟の長女でした。
勉強がしたくても金銭の問題で高校に行けず、最終学歴は中学校卒業です。
そして音楽が好きな人でした。
世間的によくある話ですが、その夢を私に託します。
私は3歳からピアノと歌の教室に通いました。
さらにそろばん、習字、小学校にはいると算数塾。
一番友達と遊びたい時期、私は月曜日~土曜日まで学校の後、塾やお稽古でスケジュールはビッチリ!
さらに毎日、晩御飯の前後にピアノと歌の練習。
母に「やめたい」なんてことを言ったものなら…その日が終わるまで、ずっと叱責され続けるのは目に見えていたので、怖くて言えませんでした。
頑張ったからといって、褒めてもらえるわけではなく、「もっと、もっと」「それ以上」を求められ、同じお稽古事をする同級生と、比較される毎日。
そのうち私は、精神的なキャパを超えてしまいます。
結果、小学生で「自律神経失調症」を発症しました。
今回紐解く中でそんな母の行動言動を考えてみると、自分が勉強したくてもできなかった母なりの、精一杯の愛情だったのでしょう。
でもその表現が、うまくできなかった。
よくマスメディアで「虐待の連鎖」という言葉があります。
母の母親、つまり私のおばあちゃんも、同じような関わりを子供の頃の母にしていたのだと想像できました。
私には優しかったおばあちゃんですが、たまに親との会話の中でおばあちゃんから親に発せられる嫌味というか…いわゆる「言葉の刺」を子供ながらに感じていましたから(笑)
そんな幼少時代を過ごした私は、母に自分の意志や意見も言えず。
黙って言うことを聞いて過ごしていることが、一番安全という脚本を書いていたと思われます。
たまに意志や意見を伝えようとしても、言いなれてないからストレートに言えないんですね。
結局それが、小学校や中学校でのいじめや、自殺を考える思考につながっていくことになるのですが。それはまた次回(ノωノ)
そんな母でしたが、私が13歳のときに病気が発覚し、15歳で亡くなってしまいます。
その出来事をきっかけに、私の「人生脚本」は大きく変わります。
人生は一度しかないんだ!
これを15歳の心に大きく刻みつけました。
母が身体をはって、私に教えてくれたことのひとつだと実感しています。
一度しかない人生なのだから、後悔や悔いのないように生きたい。
それを指針にしてから私は自分の為に、「嫌なものは嫌」「好きなものは好き」「おかしいと思うことはおかしい!」「欲しいものは欲しい!」とハッキリ口にするようになりました。
それによって、私の人生は大きく変化を遂げていきます。
他にもあとふたつ、母は私に残してくれたものがあります。
ひとつは音楽です。
3歳から強制的にピアノと歌を習わされていた私は母の言う通り、必然的に音楽大学に行くものと頑張っていました。
母が病気になったことで、その道は閉ざされましたが、音楽なしでは生きていけないほど(笑)私の今の生活にとっては、切っても切れない大切な宝物です♡
ピアノクラシックやオペラなどの舞台音楽はもちろん、小学校1年生で松田聖子さんが大好きになり、スリラーからマイケルジャクソンを聞き、中学校に入り浜田省吾さん、BUCK-TICK、BonJoviが大好きになりました。
いわゆる当時ブームを巻き起こした、テレビで口パクと言われる作られたアイドルグループなどの音には全く興味なく、本当の音…レコードやCDもですが、何よりLIVE。
アーチストの生の音楽に身体全身で酔う楽しさや喜び。生の音楽に自然と涙が流れる感動。何より私の喜怒哀楽に、寄り添ってくれる。
私にとっては映画やドラマよりも、心を揺さぶられる音楽の素晴らしさを、母親は私にしっかり残してくれました。
そしてもうひとつは、女性としての品格です。
母はしつけにも、とても厳しく。
常に正座、椅子に座るときは足に意識を持つこと。
挨拶、靴をそろえる、食事のマナーや後先考えず物を言わない等々。
当時はなぜそこまでうるさく言われるのか…全くわかりませんでした。
でも大人になり社会生活を送る中で、
「女子大出身ですか?」(心の声「共学で男子比率が高い大学です」)
「育ちがいいでしょう?」(心の声「真逆です」)
「品やオーラがありますね」(心の声「……ありがとう……えへへ(〃´∪`〃)ゞ」)
初対面の人や、取引先の方々に、中にはおべんちゃらがあったとしてもそう言われることは、自分が考えてる以上の品格でまわりに見て頂いているんだなぁ…と、とても幸せに感じます。
これは間違いなく子供の頃の繰り返しで、体得し身につけたものだと思います。
今になってとても大切なものを残してくれたんだなぁと、母に感謝しています。
母に幼少期に叱責され続け、人格まで否定されたのは事実です。
子供の頃、自分に全く自信が持てず、未来なんか見えなかった。
でも自分の脚本を変える必要があることに「気が付いた」ことで、私の人生は大きく変わり、あんだけ恨んだ母に、感謝の気持ちを持つことができるようになりました。
母の死が、そのきっかけになったことは間違いありません。
実はもうひとつ、私の人生脚本を変える必要性に気が付いた出来事があります。
それは自らの手で、自分の人生を終わりにしてしまおうとまで考えた「いじめ」でした。
今の時代も昔と変わらず、この「いじめ」による自殺で多くの大切な未来が奪われています。
そのニュースを目にするたび、とても切なく苦しい気持ちになります。
「そんな小さな世界で自分を否定しないで!!!」
「生きてたら、こんなに楽しいことが山ほどあるのに!!!」って。
次回はこの自身の「いじめ」体験を紐解きながら、人生脚本を変えるきっかけになった「気づき」を振り返りたいと思います(*^-^*)
長いブログにお付き合い、有難うございます