島村奈津さんの福岡での講演、四年前になりますがこの年は九月に安保関係諸法案の可決を廻って国政が大きく変動し揺らいだ時期でした。その年も押し迫った師走の講演会に参加したものだと思われます。

 私の文章もまた、そう言う時代を反映しています。語調論調が高いのは政治的な高揚と挫折を経験した故のことでしょうね。2015年と言いう年は私には60年代と共に忘れがたい年で、国会に出向いて議会を傍聴した記憶も生々しく、挫折感が微かにこの文章には揺曳しています。その政治的な不全感が、一見、何でもない島村さんのスローフードについての講演にも木魂していて、高い音調の文章となっているようです。

 いま読むと私の文章はやはり不自然の感を否めません。端的に言えば、島村さんを持ち上げすぎているのですね。こうした恣意的な褒め方は島村さんの人柄から考えてもむしろ辞退したい、と云うのがご本人のご意向ではないでしょうか。ここは素直に聞いて、スローフードのお話を聴けばよいのです。スローフードの価値観を聴けばよいのです。

 とは言え、島村さんには年代に似合わず、戦後派の懐かしい面影があります。ここに言う戦後派の懐かしい面影とは、女性が男性に比べてあらゆる利害関係から自由であるがゆえに、自由を主張しえると信じたある種のフェニミズムの傾向のことなのです。彼女の姿勢の中には、今では古めかしくなってしまった、志しと云う言葉の片鱗が死滅した蜃気楼のように漂っています。つまり彼女の果敢な表情の中に最後の戦後派とも云える面影を垣間見て、思わず私の心も精神も、語調の高鳴るものを感じたのだと思います。

 あれから四年の歳月が経ってしまったのですね。私も老いてしまいました。