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 今年は家庭内の事情や体調の問題もあってなかなかに旅にでられない。国内旅行については、頻繁に起こる災害などもあって、呑気に旅をするという雰囲気が馴染めない。海外旅行はそれなりに体力も気力もいることから、纏まった時間がないことを理由に先延ばししていたら、一年の三分の二以上が経過してしまった。年末までの予定を考えると、今年は海外旅行は見送らなければならないのだろうと思う。
 そこで図版や写真の多い新潮社の「とんぼの本」シリーズや類似の本(平凡社・コロナブックス)などを手に取って尽きせぬ旅愁を紛らわすことにした。
 後者の「ローマの休日 ひとり歩き」は、映画の枠組みを利用した手軽なローマ案内である。表題が有名な映画に特化しているように見えるけれども、実際は、アン王女が行ったところ行かないところを含めた、概略ローマの案内になっている。基本は路線バスや地下鉄の利用案内を踏まえたガイド本になって実用的な内容となっている。旅の概略ガイド本の良いところは、旅の思い出が少しづつ甦るところである。
 後者の「ヴェネツィア物語」は、概略本と云うよりも、かなり読ませる内容になっていた。ヴェネツィアには過去二度ほど行ったが、一度はツアー旅行の一環であったし、もう一度は北イタリアをめぐる急ぎ旅であったとはいえ、主要な目ぼしいところは見たという記憶はあったのだが、この本を読んでヴェネツィアを何も見ていないと云うことが分かってため息がでた。ローマもヴェネツィアもそれぞれに、そしてイタリアを旅をすればどこもここもが奥が深く、限がないと云う思いがしきりに去来することである。
 この写真の多い、どちらかと云えばお手軽感のある装丁の薄いガイド本が新鮮であったのは、近世のヴェネツィア絵画史が、同時にヴェネツィアの歴史と重ねて語られる語り口にあった。有名な塩野七生と宮下規久郎の名があるが、前半の古代ローマ史を塩野が、ルネサンス以降の近世ヴェネツィア絵画史を宮下が主に記述しているが、宮下の学識が生かされ、全体の三分の二を占める分量もあって素晴らしい。塩野の考え方は他の本で知っているので、全般を宮下に任せたらまた違った本になったろうと、ふとそんなことも考えたりした。
 さて、ヴェネツィア絵画の色彩性の秘密、ルネサンス以降のフィレンツェの絵画が、主として科学的精神の再発見によって知的な好奇心と興奮のなかで生気を恢復したのに対して、揺らめく水面の照り返しの日照が齎した陽炎が、後光にもにた建築物間の複雑な陰影と乱反射が齎す独特の色彩感を、ティッツイアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼなどの高名なヴェネツィア派と呼ばれた三人の画家を中心に五十名近くの画家を手際よく紹介する入門書である。専門的な方には物足らないかも知れないけれども、私のようなレベルの人間にとってはヴェネツィア画派とは何であるかを語って十分に説得的でもあれば知的発見に満ちた、瞠目すべき内容も含み、最後は自分の未知なるもの未知なる世界への無知を根本的に知らしめて、ため息が幾度となく去来しヴェネツィアへの思いと慕いはいや増さる結果になってしまいました。
 実際にはごこの本を自身の手で手に取って、読むのではなく眺めると云う姿勢でよいと思うのですが、とにかく宮下の記述の仕方と方法が、絵画史と歴史を横断的かつ縦断的に読み重ね、ヴェネツィア派と呼ばれた画家たちのひとり一人の個性がラグーナと街区の特有の霧の中から浮き出されてくるようで、皮肉にも再再度の訪問を果せないでいるヴェネツィアへの郷愁と旅愁との想いを、いやがうえにも高めてしまう結果になってしまいました。
 今回は特に、自らヴェロネーゼの後継者を任ずるティエポロの魅力に魅かれました。まるで後光のように描かれた人物たちの廻りに漂う空気の透明な照り返し、古典古代への憧憬をも秘めた淡い色彩の華麗さ典麗さと高雅な気品と上品さ、そしてきちんと正面から主題的に描かれているわけではないのに絵画を見終えたあとに脳裏に去来する、過去形としてのアドリアの海と空の色の青さ、物語世界が神話的世界へと近づく白日夢めいた幻覚の時間とめくるめくような幻想と抒情!まさに古代を遠くとほく離りて記憶のなかを意識が揺曳する歴史と時間とがいやましに輻輳し重層する、ヴェネツィアの、そしてイタリアの魅力そのものだったのです。