父の用命宣告を受けたとき
ついにこの日が来たか…
正直、そう思いました。
葬儀屋として共に一緒に仕事をするなかで
お互いの死生観は一度も話をしたことがなく
「親父が死んだら、どの様な希望を持っているのか」
まったくわかりませんでした。
広島市内の総合病院で
医師から本人を前にして
「あなたの余命は半月から一年です」
事務的に医師から言われ
「はぁ?」と返しました。
余命宣告は、本人を前にして
こうもあっさり言うものか…と愕然とした思い。
今でも忘れられません。
その時に父の顔を見ると
「ワシは耳が聞こえにくいから
なに言われたんかようわからない」と
言いました。
この時の表情やしぐさ…小さく見えたものです。
いやいや…あんたは耳が聞こえんことはないじゃろう…
と思ったのですが、そこから父のカウントダウンが
始まり、私の日常も変わりました。
病院から帰る車中
「ええか、誰にも言うな。
絶対に入院することは言うな」と父は
私に釘を刺しました。
私は父を自宅に送ったあとに
会社に帰りノートを拡げ
父にもしものことが起こった場合
会社含めて何が起こるのか
その時に思ったことを箇条書きにしました。
無心でノートに向き合うと
いつの間にやら時計の針は午後11時を過ぎており
その時、ノートには父の親族の名前を書き込んでいました。
すると、「こりゃ黙っていたらもしもの時に困る」と
思い、次の日に父の田舎に電話を入れ
事の次第をすべて話したのです。
その後
病状の進行は意外や早く
父は緩和ケアに転院することになりました。
緩和ケアの先生が予測された通り
父の病状は進行し、あっという間に物も言えない状況に
なっていました。
先生から
「あなたも葬儀屋さん…この様なケースを多く見られたはず。
心の準備をしておいて下さい」と言われたとき
素直に受け入れました。
ノートには亡くなった場合の段取りを
記入していました。
亡くなると自宅に連れて帰り
葬儀は急いで行わない。
通夜は本家を借りて田舎で行う。
葬儀はその田舎の寺院で行う。
広島市の自宅には、広島市内の関係者に焼香に
来てもらい、通夜は親族のみで行い
葬儀は父の同級生に来てもらう。
この様な計画を立てました。
最初は親族のみ、と思ったのですが
知人から「遠くても行くよ」と言ってもらい
そこは無碍にしないようにしようと思いました。
葬儀は社員が「任せて下さい」と言ってくれたので
祭壇準備や納棺、進行などをすべて社員に任せたのですが
一つだけ大きな失敗をしたのです。
社員に任せれば良かったものを
私が自家用車で火葬場に行く予定にしたことです。
出棺時に霊柩車に乗る予定の弟が
マイクロバスに乗ってしまい、私が霊柩車に乗ることになり
自家用車の中に骨壺や火葬許可証を入れていることを
キレイに忘れていました。
最終的には社員が何とかしてくれたので
大事にならなかったのですが、親族から大目玉を
くらったものです。
長くなりましたが、ここまで読まれた方で
もし、親族の方に もしものことが起こる可能性が
ある場合は、ノートに「もしもの時の準備」として
以下のことを書き込んで下さい。
1、亡くなったら故人をどこに連れて帰るのか?
2、もしもの時の連絡先(親族、友人、知人など)
3、菩提寺はどこか(連絡先)
4、葬儀の行い方の希望や要望(家族葬、直葬など)
5、遺影にする写真の用意(置き場所)
6、故人の本籍や住所
7、届をする人の本籍や住所(喪主、父、母など)
8、届出人の印鑑(シャチハタは使用できない、置き場所)
★公式サイト
★チャンネル登録はこちらです
・・・・・・・・・・・・
安芸葬祭・エキキタホール
TEL082-568-0115
広島市東区山根町32-25
・・・・・・・・・・・・