連休は続くw
敬老の日、秋分の日と週末の連休が続き
本来は今週末は連休にはならないはずだったのだが(ウチの職場は土曜日も原則出勤日)
明日のバスの終日運休の報に続き
ついに18時24分、暴風警報が発令された。
つまり
明日の土曜日はウチの職場も休業が確定。
翌週末は体育の日で連休だし
これでめでたく4週連続の連休と相成りました。
まぁ、明日は暴風の中だからどこにも行けないけど
最近疲れ気味なので、体を休めるのには有難いですね。
ただ
進路予報がかなりヤバい。
明日の午後にほぼ直撃って感じで
本当に瞬間70m/sいくかも知れない。
台風対策として
とりあえず
ビールと芋焼酎を確保w
ちょっとワクワクしてます(笑) ←おいおいw
ざんね~ん\(*o*)/
やはり中越高校の壁は厚かった・・・
準々決勝では、あの日本文理に勝った新潟に競り勝ち
準決勝では甲子園出場経験もある十日町を寄せ付けず
もしかしたら・・・と淡い期待を寄せていたのだが
やはり場数、経験値の差なのだろうか
いいところが全く出ず
結果的に1-10という大差で甲子園への道は断たれてしまった。
短い間とは言え、夢を見させてもらった芝高野球部の皆さんに感謝します。
おつかれさま。ありがとう!
Go! 芝高!
「芝高」とは
新潟県立新発田高等学校の通称名。私の母校でもある。
いちおうは「文武両道」を掲げる県内有数(?)の進学校で
私も在学中、地学部に所属し
3階にあった「気象観測室」という名の部室から、いつも野球部の練習風景を見ていたからねw
その「芝高」が、とうとう夏の高校野球で県大会の決勝に進出することになった。
なんでも夏の大会で決勝進出は60年振りとのこと。
60年前の頃は現在のような1都道府県1校ではなく
地区ごとの代表が全国大会に出場する、現在の春の選抜のようなシステムだったようだ。
調べてみると
60年前(1958年)は第40回記念大会ということで1都道府県1校の出場となっていたが、
その年の県大会決勝で芝高は新潟商業に4-0で敗れている。
その後は1960年(第42回大会)、1965年(第47回大会)と準決勝で勝っているのだが
何故かいずれも決勝戦は行われてはいない。
1973年、第55回大会から1都道府県1校(か2校)となった後は
わが芝高は夏の大会では決勝に進出することはなかった。
夏に限らず県大会で決勝に進んだのは
以前記事にあげた1979年の春の大会のこと。→ケンタカの大越投手
この時は優勝したんだけれど
1960年、1965年、1979年と
やっぱり甲子園が関係ない時だけ強い野球部という感が強まってしまった(笑)
でも、ここまで来たら何としてでも優勝してほしい。
全国放送で甲子園に流れる校歌が聴きたい!
というより、その校歌を聴いた全国の反応が見てみたい(笑)
だって、これだもの(笑)→新発田高等学校校歌
地学部後輩の息子さんもスタメンに入っているという情報も得たし
明日の午後は仕事に手が付かない予感(radikoで決勝戦聴くんだもん!)。