「ちむどんどん」は不評らしいが、私は、そんなに違和感は感じなかった。

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悪評さくさくで、政治家まで“参戦”しているのには驚いた。


ただ、以下を読んで、なるほどとは思った。

https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/4d4d9cebc9680f435eecebb566194d1089dba244&preview=auto

しかし、朝ドラはこれまでにも、エエッ?なぜ?と思うようなことがいっぱいあった。たとえば、

「ごちそうさん」。


最終回で戦争で次男戦死の報が届いたが、終戦となり、家族で食卓を囲んで、平和が来てよかったと幸せをかみしめる場面があった。なんか違和感が残る。平和になったのは良い。しかし、直前に次男戦死の報が届いているのだ。たとえ時間的には直前ではなく、経過していたとしても、身内をなくして、戦争が終わったからと言って、手放しで喜べるものではない。


ついで、「come come everybody」。大阪に行った母親を探しに、小学校の入学式の日に、新一年生になった娘が、かつて母親と住んでいた借家に独りで列車に乗り、岡山から大阪に行って、そこに行き着く。えええ〜、小学校1年生だろ?どうやって行けるのか。住所を覚えているのか。大阪駅を降りてから、何線に乗ってとか乗り換え駅、降車駅も覚えているのか。


それに、そんな小さな子が岡山から列車に乗って来て、乗客も車掌もおかしいと不審に思わないのか。その方がおかしい。どうしたのと聞いて、駅員が警察に引き渡し、すぐ住んでいる夫の実家に連絡が行くだろう。


大阪の借家に着いて外からガラス戸越しに見たのは、兄にカネを持ち逃げされ憔悴した母が互いに好意を持った進駐軍将校に抱かれている姿だった。娘はそれを見て立ち去り、岡山に帰る。


いなくなった娘が帰ったと連絡を受け、駆けつけた母親が木戸をあけようとすると、丁度娘が出て母親を見て何も言わず、木戸を閉めて拒否する。すべてを悟り、雨の中母親は立ち去り、そのまま進駐軍将校とアメリカに渡り、その後、連絡はない。が、時が移り…


と言う場面があったが、あれだけ娘のことを思っていた母親が、たったそれだけのことで娘を捨ててアメリカに移りますか。なんとか娘に理解してもらおうとするんじゃないでしょうか。それも、アメリカに行った後、何年も音信不通にするなんて信じられません。


この2つに比べれば、「ちむどんどん」なんて許容の範囲内ですよ。