https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dot/politics/dot-2022032700011 

当たり前だ。記事によれば、警察庁の幹部も当時首相だった安倍氏に忖度しすぎたか、と忖度を認めている。   

 

以下は衆議院議員だった三木武吉の話


初当選した1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙演説会において、立憲政友会の候補、坪谷善四郎が「名前は言わないが、某候補は家賃を2年分も払っていない。米屋にも、1年以上ためている。このような男が、国家の選良として、議政壇上で、国政を議することができるでありましょうか。この一事をもってしても某候補のごときは、いさぎよく立候補を辞退すべきものと、私は信ずるのであります」と三木を批判した。すると三木は次の演説会場で、「某候補がしきりと、借金のあるものが立候補しているのはけしからんと、攻撃しているそうだが、その借金がある某候補とは、かく言う不肖この三木武吉であります。三木は貧乏ですから、借金があります。米屋といわれたが、それは山吹町の山下米屋であります。1年以上借金をためているといわれたがそれは間違いで、じつは2年以上もたまっております。家賃もためているのは2年以上ではない。正確にいいますれば、3年以上も支払いを待ってもらっておるわけです。間違いはここに正しておきます」と反論し、会場は拍手と爆笑に包まれ、「えらいぞ、借金王」と野次が飛んだ。その会場には、三木の大家や借金先の山下米店の主人山下辰次郎も来ており、その後、三木に促されて両者とも立ち上がった。その時山下が「私は米屋の山下です。どうか皆さん、三木先生をご支援願います」と述べ、すっかり参った坪谷はそれ以来三木の借金の話をしなくなった。

戦後、公職追放解除後の第25回衆議院議員総選挙では、選挙中の立会演説会で対立候補の福家俊一から「戦後男女同権となったものの、ある有力候補のごときは妾を4人も持っている。かかる不徳義漢が国政に関係する資格があるか」と批判された。ところが、次に演壇に立った三木は「私の前に立ったフケ(=福家)ば飛ぶような候補者がある有力候補と申したのは、不肖この三木武吉であります。なるべくなら、皆さんの貴重なる一票は、先の無力候補に投ぜられるより、有力候補たる私に…と、三木は考えます。なお、正確を期さねばならんので、さきの無力候補の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5を4と数えるごとき、小学校一年生といえども、恥とすべきであります。1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」と愛人の存在をあっさりと認め、さらに詳細を訂正し、聴衆の爆笑と拍手を呼んだ。

「およそ大政治家たらんものはだ、いっぺんに数人の女をだ、喧嘩もさせず嫉妬もさせずにだ、操っていくぐらい腕がなくてはならん」と、男っぷり溢れる発言をしたり、松竹梅といわれた3人の妾 (ちなみにこれは、愛人のランクではなく、実際に名前が松子、竹子、梅子だった) を囲ったりした。松子には神楽坂待合茶屋を持たせた。晩年も精力に衰えはなく、72歳で亡くなるときも愛人が5人いたという。しかしその一方で愛妻家でもあり「本当に愛情を持ち続けているのは、やはり女房のかね子だ。ほかの女は好きになった…というだけだ」と述べている。妾たちもかね子を別扱いにして、世話をしていた。(ウイキペディアより)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E5%90%89 


現在では、到底許されぬことではあるが、三木の弁舌に聴衆も参ってしまった。ヤジも応援になっている。

政敵にいろいろ言われても、本当のことだから仕方ない。警察だって出る幕はない。三木は、自分の不始末は自分でユーモアたっぷりに弁明し、聴衆を味方につけた。

翻って安倍氏は、警察は忖度とは言っているが、ヤジの1つも許さなかった。せちがらい世の中にしてしまった。しかも、公権力を行使するものは、その使用に配慮しなければならないのに、警察は公平性をいとも簡単に捨て去った。

安倍氏の誤りはこれに留まらない。森友事件では、財務省幹部に公文書偽造をおそらく命じたであろうと思われる。また、お友達のジャーナリストを助けるため、その強姦犯罪を当時の首相の安倍氏と菅義偉官房長官(当時)は、おそらくは共謀の上、警察官僚の秘書官(現警察庁長官)を使って警視庁に圧力をかけ、捜査を止めさせた。

自分たちのために自由を束縛し、公権力を使ったり、使わせなかったりする。それが安倍政権の実態だ。