九仞 きゅうじん の  こう を 一簣 いっき に  か 
《「書経」旅獒から》高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しない。 長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。


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NHKの「倫敦ノ山本五十六」を見た。なかなか見応えがあった。香取慎吾の演技も重厚で良かった。片岡愛之助の堀悌吉も、反戦の条約派として熱意が感じられた。


ただ、NHKが新事実として喧伝しているわりには、いささかフレームアップしている筋立てではないかと感じた。


物語は、大正11年のワシントン軍縮条約、昭和5年のロンドン軍縮条約(第一次 )の一連の軍縮の動きの中で、締結後5年立ち、このままでは破棄されるロンドン軍縮条約をどうするのかということで開かれた第二次ロンドン海軍軍縮会議の予備会議で海軍代表となった山本五十六の話である。


NHKの前宣伝では、ロンドン海軍軍縮会議とばかり言っていたので、おかしいなと思っていたが、第二次ロンドン海軍軍縮会議のことだった。それなら話が分かる。


山本は、交渉を続けようと、海軍省に、日本が理想とする軍艦保有量を明かしてもいいかとお伺いを立てるが、海軍首脳に拒否され、会議は決裂、失敗に終わる。


NHKは、真珠湾攻撃を行った山本五十六が実は戦争に反対していたことを新事実であるかのようにしたいみたいたが、そんなことは、山本五十六の伝記小説を読んだ人間は、皆知っている。NHKの言う新発見と言うのは、山本が日本の理想とする軍艦保有量を米英に伝える許可を得ようとまでしたが、海軍首脳は許可しなかったーと言うことのようだ。


このため、第二次ロンドン海軍軍縮会議は、山本の望みも虚しく、あたかも決裂したようにNHKは解説するが、事実は本会議まで続き、日本は会議を脱退するのだ。


日本が戦争に至るのを阻止し、一度は成功したのは、第二次ロンドン海軍軍縮会議後のいわゆる海軍条約派三羽烏と呼ばれた米内光政海軍大臣、出世した山本五十六海軍次官、井上成美海軍軍務局長の時で、3人が力を合わせて日独伊三国同盟に反対し、葬り去った。


しかし、3人が海軍省詰めから外れると、また三国同盟問題がむし返され、三国同盟が締結されてしまう。これが、戦争に踏む出す大きな一歩になってしまった。


山本を疑問に思うのは、知米派であるのに、なぜ連合艦隊司令長官としても、戦争に反対しなかったのかと言う点だ。確か、山本と同期で親友の堀悌吉か、後輩の井上成美が戦後に「連合艦隊司令長官が軍艦を動かさないと言えば、動かせない」と語っている。少なくとも、ぎりぎりの段階で動かせないと言ったなら、12月8日の真珠湾攻撃はなかった。


それと、山本は宣戦布告文書が真珠湾攻撃の直前にとどくよう念押ししていたというが、駐米日本大使館の暗号解読が遅れ、真珠湾攻撃前に間に合わなかった。しかし、たとえ間に合ったとしても、真珠湾攻撃が文書提示後の少なくとも半日経っていないと、卑怯な攻撃と言われなかったろう。また、あの宣戦布告文書と言われるものは、ハルノート拒絶文書だ。よくて国交断絶文書と見られるかどうか。いずれにしても卑怯者だ。


戦争の1年前から、山本は周到に真珠湾攻撃の準備をし、真珠湾と似た地形の鹿児島県の錦江湾で魚雷攻撃訓練をさせていた。アメリカと戦争をしたら必ず負けると、対英米戦回避に積み重ねた努力、九仞の功を一簣に虧くことになってしまった。その責任は重い。