秀吉が山崎の合戦で光秀に勝ってからしばらくして、1人の男が現れます。秀吉に会うなり、男は「猿、よくやった」と高い声で言います。それを聞いた秀吉は、「おのれは何者じよ」と問います。
「わしじゃ、信長だ」と、男が言うのをさえぎり、秀吉は大声で言います。「黙れ、下郎。親方様の名を語るなど、不届き千番、成敗してくれるわ。首をはねい」。こうして、信長を名乗った男は、首をはねられます。

脚色しましたが、何かの本に書かれていたのを読んだことがあります。何かの本からの引用と記されていました。ルイス・フロイスの「日本史」だったかなあ。それだったら、当時こんな話があったということは、だいぶ流布されていたとして、信憑性がますのですが。

実は、私はルイス・フロイスの日本史を読んでいません。まだ宮仕えをしていた頃、丸の内の丸善で手に取ってみたのですが、忙しいからまた今度と買わないままで、そのままになっています。

こういうことが本当にあったら、男は本物の信長でしょう。信長をよく知る秀吉の前に偽物がのこのこ出ていくわけがありません。秀吉の下級家来たちは、信長をはっきり見たことはないでしょう。重臣たちはさすがに知っていますが、彼らは秀吉と一心同体です。

本能寺の変で、光秀の軍勢が血眼になって信長の死体を探しますが、見つかっていません。地下にトンネルがあったとも言われています。信長は、光秀の軍勢が去るまで、息をひそめていたのでしょう。

秀吉にとって、信長が生きていたら、いいことはありません。光秀同様、生存権が脅かされる恐れがあります。だいたい中国大返しも、発端は光秀が毛利に送った援軍要請の手紙を持った間者を捕らえたことからとされていますが、随分間抜けな間者ですね。

それから、先遣隊を派遣して、握り飯、松明を用意させたと言いますが、そうとう前から準備しないとできないのではないでしょうか。光秀と秀吉は、連絡を取り合っていたとしても不思議ではありません。