いよいよ、来週から大河ドラマの「麒麟がくる」が、始まります。光秀に同情する私としては、喜ばしい限りです。

NHKが、さまざまな関連の番組をやってますが、その中で犯罪心理学の法政大教授の説が興味深かったです。すなわち、信長殺しは、衝動殺人であったと。

中国路と京都路の別れ道に来た明智軍は、道を左に取って本能寺へと向かうわけですが、実はこの分岐点から本能寺までは、当時の行軍速度でわずか1時間のところを3時間かかっています。なぜなのか。

この教授は、大胆な仮説をしています。光秀は、密かに信長に会いに行き、むくむくと頭の中で起きていた信長への不信感をぶつけたところ、信長にけんもほろろに扱われ、不信感はますます強まり、軍に帰ってから、「敵は本能寺にあり」と軍を率いて信長を討ったのではないか、と言うのです。

信長への不信感とは何か。光秀は毛利攻めをしていた羽柴秀吉を助けろと信長に命令されますが、それに伴い領地を取り上げられ、その代わり、毛利の領地を取ったら、それを与えると知らされるのです。

しかも、自分が間に入って四国の長宗我部元親と信長の間に成立した和睦を、信長が一方的に破棄され、四国攻めが始まろうとしていました。

信長の愛妾に、お妻木の方という女性がいるのですが、この人は光秀の妻・煕(ひろ)子の妹で、光秀と信長の間を取り持ってくれていたのですが、妻もお妻木の方も病死してしまい、信長の真意を知らせてくれるものは、誰もいません。

信長に忠誠を誓っていた光秀としては、信長の理不尽な決定の理由を、中国攻めに加わる前に、是非聞いておきたいと思ったとしても、不思議ではありません。しかし、信長はそれには答えず、追い返したとしたら、光秀の信長への不信感は確信になるでしょう。敵方に光秀は自分の母親を人質に出して和睦したにも関わらず、一方的に和睦を破棄して、光秀の母を殺させてしまった信長のことですから、自分などどうなっても歯牙にもかけないだろうと。

軍に帰った光秀は叫びます。「敵は本能寺にあり」。本能寺で攻めて来た軍勢の旗印が桔梗だと知った信長は「是非に及ばす」(いい悪いを言ってもしょうがない)と言って、死を覚悟したそうです。