「任那日本府があったという話がありますね」
酒井が言う。
「あった、なかったと、両説入り混じってるわね。広開土王の碑文も、旧陸軍のでっち上げとか、改竄とかが言われているけど、今では碑文は正しい見たいよ。歴史にも、左翼史観、右翼史観があるなんて、バカな話よね。私は任那日本府はあったと思うわ」
美代子が言った。
「なぜですか」
と、酒井。
「また、イギリスの例なんだけどね。大陸のそばの島国で、どういう歴史をたどったかを見る場合、歴史が確立している国から類推するしかないわ。18世紀に産業革命が始まるまでは、人間の基本的生活は、ずーっと古くから一緒だったし、19世紀に近代民主主義がイギリスで花開くまで、人々の意識は古くから変わらなかった。だから、それらの時代は、1国の例から類推できるの。まあ、それ以後、人間が大きく変わったかと言うと、そんなこともないけどね。
ところで、ウィリアム征服王は、どこからイギリスにやってきたんだっけ」
「フランスのノルマンディーです」
3人が一斉に答えた。
「じゃあ、ウィリアムがフランスに持っていた土地はどうなったと思う」
「・・・」
「そのままよ」
「えっ」
「そのままウィリアムが持っていたの。ただ、時代が下ると、他の領主が奪おうとしたり、逆に増やしたりと、色々あったけど、最終的にイギリス王室のものじゃなくなっちゃうの」
「ほほー」
「日本もこれと同じじゃないのかと、私は考えるの。朝鮮半島に残した領地が、新羅、さらなには、多分血縁関係にあった百済が、どんどん浸食し、日本の領土は減少していき、ついに滅んでしまったのではないかしら」
「なーるほど」
「余談はこれくらいにしときましょう。話題を近代保守主義の父、エドマンド・バークに戻すわよ」
「はい」