高橋英樹主演の映画「荒木又右衛門」をケーブルテレビの時代劇チャンネルで見た。以前、仲代達矢の「決戦鍵屋の辻」を見たことがあるが、筋書きは同じだ。

分からないのは、なぜ大名と旗本が対立する因縁があるのか、と言うことだ。

映画でいろいろ説明されている。諸説あるが、ウィキペディアによると、渡辺源太夫を殺害した河合又五郎の父は、小見川藩の安藤家に仕えながら朋輩を斬り、池田家に逃げ込み、池田家の家臣となった。そして、今度は息子が同輩を殺し、息子に安藤分家で旗本の安藤家にかくまってもらえと知恵をつけ、江戸に逃げる。それが、大名と旗本の争いに発展するのだが、よく考えて見れば、最初の因縁は、河合又五郎の父親であり、大名の安藤家は、同じ大名の池田家に引き渡すよう談判したはずだし、その息子が分家の安藤家に逃げ込めば、分家とは言え、この野郎と思うのではないか。

本家と分家の仲が悪ければ、かくまうことも考えられないではない。

鍵屋の辻は、2つの映画以外に、早くから様々な映画にとられ、登場人物もごちゃまぜになっている。たとえば、河合家の親戚にあたる河合甚左衛門は、又右衛門と同じ大和郡山藩で、映画の荒木又右衛門では、又右衛門が剣術指南、河合甚左衛門が槍術指南となっている。

ところが、ウィキペディアでは、河合甚左衛門は、上席の剣術指南で又右衛門の上役にあたる。槍術指南は、もう1人の親戚の桜井半兵衛だ。

映画の荒木又右衛門や鍵屋の辻では、荒木又右衛門と河合甚左衛門は、碁を打ちあう仲だった美談にしているが、本当にそうだったのか。

映画やドラマは、だいたいにおいて、フィクションが多いが、それなら、合理的にすべて説明できるフィクションにしてほしいものだ。

たとえば、大名家の安藤家と旗本の安藤家は犬猿の中で、河合又五郎の父は、それを知っていて又五郎を旗本の安藤家を頼らせたとか、河合甚左衛門と荒木又右衛門は流派が違うので仲が悪く、そのため、又右衛門は馬に乗る甚左衛門を奇襲戦法で襲い、足を斬り、馬の腹をくぐって、馬から落ちた甚左衛門を叩き斬ったというふうに。これなら、話がすっきりする。

渡辺源太夫が切られて河合又五郎が討たれるまで、大名と旗本の対立になってしまい、3年かかっている。藤堂家預かりとなった又右衛門が、鳥取に移った池田家が引き取るまで、さらに4年かかっている。幕府は、容易に解決できなかった。小田原評定と言い、この件といい、日本人の優柔不断は昔からだった。

荒木又右衛門は、鳥取に行ってから、妻の到着を待たずに病死した。一説によれば、旗本の怒りを恐れた池田家が、毒殺したとも言われている。