手賀沼を別荘地にした著名な人物は、柔道の創始者、嘉納治五郎です。1911(明治44)年のことです。



手賀沼の高台にあります。屋敷は残っていません。

嘉納は、白樺派とは直接関係ありません。

嘉納の姉が、娘と家を探しており、嘉納の別荘の近くの神社跡地に居を構えました。やがて、その娘が、後に海軍大将になる谷口尚真と再婚します。

それで、この家は空き家となります。そこで、そこに嘉納の姉の息子、つまり谷口尚真と再婚した娘の弟になる、嘉納の甥っ子が空き屋となった家に入ります。それが白樺派の芸術家の柳宗悦で、すでに声楽家の妻、兼子と結婚してました。1914(大正3)年のことです。

柳は、神社跡地にあった3本の木を近隣住民が伐らずに親しんでいたことから、この家と敷地を三樹荘と名づけました。




3本の木は今でも残っています。



この家は、柳のころからのかどうか、はっきりしません。

柳が去った後、縁者の歌人、村山正八が住み、今はその娘さんが引き継いでいます。

一般の家なので気をつけて下さいとかが掲示板に書かれていたのですが、3本の木がどれか分からず、たまたま庭掃除をしていたご婦人に、三樹というのはどれですかと尋ねたところ、村山正八の娘さんで、ご親切に庭に入れてくれて、案内してくれました。

柳宗悦の誘いで、近くに引っ越してくるのが志賀直哉で、柳が住み始めた翌1915(大正4)年のことで、武者小路実篤はそのまた翌年、1916(大正5年)から住みました。