史記は、侠客についても述べている。侠客と言っても、やくざのようなものではない。その時々の政権と異なる価値観を持ち、それを通した人々である。

劉邦が天下を取り、漢の時代となった時、劉邦はまだ楚軍の残党狩りをしており、ことに楚軍の武将であった李布の首を取ること、李布を匿った者は一族皆殺しにするよう言明していた。

李布は、ある男のところに匿われていたが、男は自分のところに匿うのは難しいと判断した。そこで、李布に、たとえ奴隷になっても生き延びるかと聞いたところ、李布がそれを願ったため、頭を坊主頭の奴隷の格好にし、朱家のところに送った。 

朱家は、息子に息子になにも言わず、ただあの奴隷の言うことは黙って聞くように指示した。そして、かねてから旧知の夏侯嬰の邸に行き、李布はどういう人間かを尋ねた。

「立派な人間だ」と答えるのを聞き、朱家は、戦いが終わり、平和が来たというのに、まだ楚軍の人間を探して殺すというのは、評判を落とし、漢のためにもよくないと力説します。朱家が李布を匿っていると察知した夏侯嬰は、さっそく参内し、劉邦に朱家がいった言葉を伝えます。

劉邦は、夏侯嬰のいうことを聞き、李布を許します。やがて、李布を召しかかます。劉邦の優れた点は、家臣の忠言、諌言をよく聞くことです。秦を打ち破って都に入っても、家臣の忠言に耳を貸し、三世皇帝を殺さず、後宮の美女たちにも手を出さず、宝物は封印して、軍を都の外に駐屯させます。後から都に入った項羽の楚軍とは大違いです。

夏侯嬰、朱家の男気と劉邦の懐の深さが分かる話です。