○田中隆吉 陸軍の局長だったにも関わらず、東京裁判では検察側証人となった。日本のユダとも呼ばれているが、驚くべき記憶力で、旧日本陸軍の謀略、麻薬取引による裏金作り、戦犯の評判などを証言した。自分の謀略の一つに、北京郊外の日中間の紛争から世界の目を逸らすよう板垣征四郎に命じられ、上海で日本人僧侶を中国人に殺させることを、スパイの川島芳子と共謀し、実行した。これが、第1次上海事変の一因にもなった。これは、後に自分で暴露している。その罪は死刑に値するが、数々の謀略を明らかにしたことにより、無期懲役とする。

○永野修身 開戦時の軍令部総長。最初は英米戦に反対だったが、上はOBで艦隊派の前軍令部総長の伏見宮、加藤寛治、末次信正、横は陸軍、下は石川信吾ら好戦派に追い詰められ、伏見宮には、延ばせば延ばすだけ負けになると言われて開戦を決意した。気の毒な一面もあるが、多くの国民を死に追いやった責任は重い。よって無期懲役。本人は、東京裁判の判決前に病死。

○島田繁太郎 太平洋戦争中、海軍大臣。東条英機のいうがままで、東条の男めかけと言われた。永野同様、無期懲役。一部、名将との評価もあり、戦後伝記を出す話があったり、戦争中の話をしてほしいという要請をすべて断っている。ただ、東京裁判で死刑判決を受けなかった日に、他の部屋は静まり返っていたのに、島田の部屋からは、何度も万歳の声が聞こえたそうで、300万以上の同朋を死に追いやりながら、まったく反省がないとも受け止められる。

○伏見宮 艦隊派に担ぎあげられ、昭和天皇のお心とは反対に、開戦への道を開いた。本来皇族はお飾りの軍令部総長だと自覚すべきなのに、艦隊派に乗せられ、口出しした。本来死刑だが、皇族であることから、無期懲役。      

○犬養毅、鳩山一郎、森恪 犬養、鳩山は艦隊派の尻馬に乗り、倒閣の手段に統帥権干犯問題を選んだ。これが太平洋戦争の一因にもなった。犬養は5.15事件で死んではいるが、鳩山とともに無期懲役。森は、軍と近い政治家だった。これも無期懲役。