晋の重耳(ちょうじ)は、父の側室の陰謀で謀反をでっち上げられ、兄は自殺、自身は忠臣らとともに国外に逃れます。流浪を強いられ、他国の王は、馬鹿にするなどして、相手にしてくれません。  
そうしているうちに、楚の国にやってきました。楚の王は、成王です。成王は重耳を丁重にもてなします。重耳が謙虚な姿に、成王は冗談を言います。「帰国された時には、どのような贈り物をくれますか」。重耳は、「宝物はありあまっているでしょう。将来、晋と楚が戦うことになれば、わが軍を90里だけ退きましょう」といいます。  

成王からこれを聞き、将軍の子玉が「晋の公子だから丁重に扱っているのに、なんたるいいぐさですか」と怒ります。国から追われているくせに、楚と戦う時にはだと-と言う気持ちだったのでしょう。そして「殺してしまいましょう」と言います。

成王は「いかんぞ。公子は長く国外で苦労し、それが器量になっている。配下の者たちも皆、国の柱石たる器だ。殺すなどとはとんでもない。第一、今の公子にはあれしか言えないではないか」と、応えました。

やがて、重耳は秦に移り、晋に戻り文王となります。楚は、晋と友好国の宋を攻めます。救援の要請を受けた晋の文王は、昔受けた恩義があって気が進みません。しかし、宋にも恩義があるのです。そこで、忠臣が、楚の友好国の曹と衛を攻め、すぐに宋に割譲すれば、楚はいったん宋から兵を退き、曹・衛の救援に向かうでしょう、と献策します。

早速これを行うと、楚は引き上げます。しかし、楚の将軍、子玉はおさまりません。「わが君が、放浪していた文王に最高のもてなしをしたのに、その恩義を忘れたのか」と言います。成王は「文王は19年もの亡命生活に耐え、逆境を生き抜いた男だ。その政治手腕は並大抵ではない。戦って勝てる相手ではない」とたしなめますが、子玉は言うことを聞きません。

仕方がないので、成王はわずかな軍勢だけあたえます。子玉は晋を攻めます。すると、晋の文王は兵を90里退きます。昔の約束を覚えていたのです。90里と言えば、当時の軍で3日間の行程だそうです。   
退いた晋軍は、他の3か国軍とともに楚を打ち破ります。楚の成王は、言うことを聞かなかった子玉の責任を問い、自殺させます。

この物語は、逆境にある人をもてなすこと、人を評価することの大切さ、たわごとでも守る律儀さが、じーんと来ます。