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 「芳吉、これを渡してくれ」

  

遠 遠山は、廊下に出て、待っていた使用人に声をかけた。

 「へえ」


 使用人は、玄関に方に駈け出して行った。

  

  手紙の内容は、今回の失脚がさぞや残念であったことでしょうというような文で始まっていた。そして、自分は何も知らないと書いてあった。ただ、土井の領地で不穏な動きをした者どもがいたという噂があり、それを調べているところだということを明かしていた。鳥居と土井との関係は不明であるともしたためられてあった。

   

   あて名書きには、越前守様とは書いたが、差出人は何も書かれていなかった。手紙が奪われたり、失くしたりした時の用心である。これを遠山が書いたことが分かれば、実は水野と通じていたのかと疑われる。事実はそうではなかったが、鳥居を失脚させるためには、水野に情報を流さなければならない。遠山の狙いは、改革と称して民の生活を苦しくしている水野と鳥居の失脚だが、まず水野が失脚してくれ、その次に、水野と同じかあるいはそれ以上に頑迷固陋な鳥居の排除であった。

  

   そして、水野は失脚した以上、もはや幕閣として戻るのは無理なはずだと見た。そこで、次は、その水野が残る力で、鳥居に対する恨みをぶつけることを期待した。これで、鳥居が失脚すれば、老中首座になった土井は、水野が老中首座であった時の反省から、民が苦しむような改革はしないだろう、いや、鳥居がいなくなれば、そんなことは俺がさせない、という強い気持ちが、遠山にはあった。

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