公聴会は、午前9時から始まった。当初は、アメリカ米国法人のアメリカ人副社長が答えていたが、話が核心、つまりは今後の補償や方針の話になると、保男が答えざるを得なかった。質問の内容も、保男が答えざるを得ないものとなってきた。
「あなたは、日本の記者会見で謝罪しましたが、それは今後、犠牲者に完全な補償をするということですか」
「トミタの車の欠陥で、多くの死者が出ています。この補償はどうするのですか」
「1人当たりいくらくらいの補償を考えていますか」
など、補償に関する多くの質問が、米メーカーの本社や工場が多い議員、死者の数が多い議員らから、出てきた。
「彼等も、アメリカのメーカーや従業員、遺族らを意識していますから、厳しい質問を出さざるを得ません」
通訳なしでも、保男は理解でしたが、それでも通訳の訳を聞いて、その合間に、米国トミタ社長の山下の解説を聞く。
「ミスター・トミダ」
委員長が、保男に、議員らの質問が終わるたびに発言を促す。
「イエス、ミスター・チェアマン」
そう言って、その都度、保男は答え、一つ一つ丁寧に答えた。
「確かに私は、今回の件では、記者会見で謝罪しました。日本には、問題が起きて申し訳ないということが一般的です。アメリカ人の方々には理解できないかもしれませんが、今回、トミタの車に乗っていて事故に遭われたことがあります。それに対して、原因はまだ分かっておりませんが、いずれにせよ、トミタの車に乗っていて、事故に遭われたことには違いありません。それに対して、アイム・ソーリーと言いました。原因につきましては、今わが社では、究明に全力を尽くしているところです。アメリカなどでも、運輸省始め様々な機関が真相を調べていると伺っております。これらの調査で、原因が同じだと考えられ、それがトミタの原因であれば、その時には、トミタとして責任を取りたいと思います」
「調査結果が違う結果であれば、我々が理解できるものを出していただければ、責任を取るのに、なんら躊躇しません」
「補償については、完全に納得できる調査結果が出れば、最大限の誠意を尽くしたいと考えています」
など、次々と答えて行く。
絶対に謝罪はするなと米国人幹部から聞いていたので、事故をトミタのせいだとすることを認めて謝ることはしなかった。
どうにか、公聴会は終わった。結果はどう評価されるか、保男には分からなかった。しかし、公聴会の後半に入ると、厳しかった議員らの矛先が和らぐ気配も感じ入られた。
ハイヤーの中で、山下は
「素晴らしい出来でしたよ。これで大丈夫です」
と言い切った。保男は
<そうかなあ>
と感じていた。どうも、突っぱね過ぎた気もした。
「いや、あんな感じでいいです。それに、尊大な感じはこれっぽっちもありませんでしたし、誠意がにじみ出ていました。大丈夫です。鼻薬もじわじわと効いてくるでしょう」
と山下は言う。鼻薬というのは、米国のマスコミに漏らした広告・宣伝の復活だ。
「そうでしょうか」
「いや、間違いありません。おっと、ここだ」
車は、とあるホテルの玄関に着いた。降りて、大きなロビーに入って行くと、大勢に人間が歓迎してくれた。米国トミタの社員、ディーラー関係者、全国から集められたトミタの従業員代表だった。
皆拍手で保男を迎えた。指笛や口笛も鳴った。テレビカメラのライトが煌々と照り、スチルカメラのストロボが、激しく光る。
人々の表情を見て、保男は歓迎されているのを感じた。
「富田社長、何か言って下さい」
山下の言葉に促されて、保男はマイクの前に立った。
「ありがとう、皆さん。今、トミタは苦しい立場に立たされています。私自身、本当に苦しい。皆さんも同じでしょう。しかし、この時期を乗り切れば、きっとまた栄光の日々が訪れると思います」
そう英語で語る保男に、暖かい拍手がまた上った。もう、何も考えられない。
「ともに苦難に立ち向かいましょう」と喋ったとたん、涙があふれてきた。もう、後が続かない。手で涙をぬぐう。それも見て、会場にいる多くのアメリカ人が拍手した。保男は、後ろの席に、ゆっくりと着席した。