信号を渡ると、左側に文学部の出入り口が見えてきた。ただ、門が閉まっており、中には入れない。ゲートの前まで来て、綾子は、敷地の中を眺めた。構内の灯りが、敷地をぼんやりと照らしている。
<ここで4年間を過ごしたのね>
そう思いながら、目を閉じた。30年ほど前のことが、走馬灯のようによみがえってくる。中の良かった級友らと、なぜだか忘れたが大笑いしながら急いでこの門を出て、近くの甘いものを食べさせる店でお汁粉を食べたり、道を隔てた神社に行って、密かに雄介と恋人になれますようにと祈ったこと、あるいは、綾子を思う男子学生に、この門の前で待ち伏せされて、そっとラブレターを渡されたことーそんな思い出が次々と頭に浮かんでくる。
綾子は、それらをもう一度、胸にしまいこむように、ゆっくりと深呼吸をした。それから、当時にもっと浸りたくなり、地下鉄でなく、少し離れたJRの駅まで歩いて行こうと決めた。
歩いて行くうちに、ところどころ新しいビルなどがあったが、古本屋が当時のままだったり、畳屋が残っていたりした。アジアのさる国の大使公邸も、当時のまま、まだあった。
<あら、これも昔のままだわ>
時の流れに流されぬように、さまざまな古いものが、そのまま残っていることに、感動を覚えた。
文学部の校舎から15分ほどして、JRの駅に着いた。バッグの中に、雄介から健三に託されたという綾子あての本のことが気になってきた。包を開けてみたいと、喫茶店に入ろうと思った。ふと、大学1年の頃、雄介と一緒に駅まで歩いて、時間があるからと一緒に入った喫茶店を探してみる気になった。
駅を正面に見て、ロータリーを左に曲がってしばらく歩いた。すると、その喫茶店はまだ残っていた。ビルの1階に組み込まれた木造の出入り口が古めかしくなっていた。
「何時までですか」
ドアを開けて、レジにいた年老いたオーナーらしき男性に尋ねると
「10時半ですが、11時くらいまでなら大丈夫ですよ」
と、優しく言ってくれた。
「ありがとうございます」
そう言って、席を取った。店の中は2人連れの男女と学生らしき男性1人だけだった。
ウエートレスにコーヒーを頼んで、急いでバッグから包を取りだして、開け始めた。ひもを解いて、紙を丁寧に除くと、ジイドの「狭き門」の初訳本が一番上にあった。その下にまた本があり、それはデュガールの「チボー家の人々」の訳本3巻までだった。
それらを手に取って、しばらく眺めていると、本に挟んであったのか、白いものが膝に落ちてきた。
<何かしら>
手に取ると、封筒で表に
「上田綾子様」
と、書かれていた。雄介の文字だった。本をテーブルの上に置いて、しばらく手紙を胸に抱くようにしていた。すると、涙が自然にわいてきた。いつの間にか、テーブルにコーヒーとおしぼりが置かれていた。
封筒を胸から離す。そして、封を切った。中には便箋が入っており、結構量があった。それを取りだして、分厚く重なった紙を開けて行く。
「綾ちゃん 見つけてくれたかな」
最初にそう書かれていた。