綾子はまず、アメリカにいる雄介の長女に電話をかけた。まだ未明の時間だったが、仕方ない。

 だいぶベルの音が鳴っていたが、受話器が取られた。女性が出た。

 「夜が明けていないのに、申し訳ありません。山中弘美さんでしょうか」

 「はい、そうですが」

 おそらく向こうは4時くらいと思われたが、出た相手は、たたき起こされたのにも関わらず、きちんとしていた。

 「私、上田綾子といいます。お父様と懇意にさせてもらっていますが、実は、お父様が今日入院なさったのです。今年の初めに癌という診断を受けまして、余命一年と宣告されたんですが、相当進行しているようでして」

 と、頭に整理してあった話を手順を追って、説明していった。

 弘美は黙って聞いていた。ときどき、夫が何かを聞いているらしく、

 「申し訳ありません。しばらくお待ちください」

 と言って、電話の向こうで、英語で説明している。

 ようやく、話し終えると、弘美が質問してきた。

 「今回の入院で、もう持たないということでしょうか」

 端的に尋ねてきた。

 娘たちにはすべて話してくれと言う雄介の言葉に、綾子は、隠すことなく答えた。

 「まだ、精密検査の結果が出ていないのでなんとも言えません。そのまま入院するのか、あるいは家で療養するのかも決まっていません」

 「わかりました。私は、2、3日うちにそちらに行けると思います。病院はどちらでしょうか」

 気丈な女性らしかたが、時折、電話の声が震えているようにも感じた。

 病院の名前を伝えて、着いたら電話してほしいと、綾子は自分の携帯電話の番号を教えた。

 「妹さんには、これから電話して私から伝えておきます」

と告げると、

 「申し訳ありません。よろしくお願いします。私の方からも、しばらくして電話してみます」

と、丁寧に言ってから、受話器を切った。

 今度は、京都で染物の修行をしているという次女の瞳に電話した。弘美にした電話と同じように言うと、瞳は当惑したようだった。

 「父とはどういう関係なのですか」

と、聞いてきた。

 「大学時代の後輩で、今年の初め、銀座で30年ぶりくらいにばったり顔を合わせて、なんどかお会いしていたのですが、最近、癌だとお伺いしました。年初に余命1年だと宣告され、今日入院しました」

 そういうと、瞳は、黙ってしまった。やがて、受話器からすすり泣く声が聞こえてきた。

 黙って泣くだけ泣かせよう。

 そう思って、綾子は黙った。