「泣いているのかい」

 雄介は、そっと優しく尋ねた。

 「泣いてなんかいないわよ」

 綾子が、強い声で応えたが、ほんの一瞬だった。すぐに、大きな泣き声に変わった。

 「なぜ、なぜ、こんなことになっての。せっかく30年ぶりかで会えたのに」

 あー、あーという絶叫のようにも聞こえる。

 「運命なんだよ。僕が死ぬのは。妻も死んだことだし、僕は運命を冷静に受け止めているよ」

 「そんなの嫌、嫌よ」

 大きな声で、綾子は叫んだ。雄介は、綾子の言うがままにさせておこうと思った。だが、綾子は、冷静になったのか、もう叫ばなかった。それから、体を雄介と並べ、黙ったまま、夕焼けをじっと見つめた。


 「きれいだね。こんな夕焼けは初めてだ」

 夕焼けは、天空全体を覆っている。しばらく2人で見つめていると、太陽が完全に沈んでいくと、夕焼けは次第に闇に覆って来た。

 完全に真っ暗になったが、それでも2人は、余韻を楽しむかのように、暗くなった空と海を眺めていた。

 目が慣れてくると、月と星が出ているのに気がついた。雄介は、ずいぶん時間がたったような気がした。


 当然、雄介は綾子の前に回って、それからそっと額に口を近づけた。それから唇を押し当てて

 「愛してる」

 と言った。そして今度は、綾子の唇に、唇を重ねてきた。

 「ああ」

 と、綾子は言葉にならない声を上げた。

 突然、綾子の体が持ち上がった。とても病人とは思えない力強さだった。2-3歩行って、雄介は綾子をそっとベッドの上に置いた。

 「はあはあ」

と多少息が上がっている。

 それから、綾子の傍らに、横になった。

 綾子は、胸に高なりを覚えた。それは、大好きだった雄介が、死を前にしても、これほど力が残っている、自分は愛されているんだ、この人の愛をつかんだという幸福感に満ちたものだった。たとえ、この気持ちが一瞬で、残り時間は、この人の死を見つめることになろうとも、今はとても幸せな気分にひたろうと考えた。

 雄介の手が伸びてきた。ブラウスのボタンにかかってくる。すっかりボタンが取れると、また、キスが始まった。