その後、広田が雄一郎に会ったという噂が、長尾に耳にも伝わってきた。噂では、亜細亜製鉄が、料亭を用意して、そこに経営団体連盟の主だった役員がずらりと顔を出したという。その席で、広田は

 「沖川さんは、これからの日本にぜひ必要な人です。何が何でも、私の跡になってもらいたいと思います。トミタにも必要な人であるのは重々承知しておりますが、そこをなんとか、経営団体連盟の仕事をしていただけないでしょうか

と言って、他の役員ともども、両手をついて深々と頭を下げたという。

 これには、雄一郎も驚いたとうことだった。それまで、広田が、そんなに深々と頭を下げるところは、まったく見たことはなかったからだ。

 雄一郎は、人に頭を下げるのは、嫌ではなかった、苦労人だった冨田グループの創設者、祖父の巌雄がそうであったし、トミタ自動車の創業者で父親の錬太郎も、人に頭を下げるのはなんとも思わなかった。それは、自分が偉いのではなく、相手を認め、どんな人物であれ感謝するという姿勢の表れだった。だから、パーティーなどで、新しく担当になった新聞記者などが来て、歓談して、去る時に深々と礼をしていくと、雄一郎もまた、律儀に礼を返すのだった。


 広田は、東大出身者らしく、時に頭のいいところを誇るようなところもあった。さすがに、雄一郎の前では、そういう態度はとらなかったが、社員や記者の前では、

 <こういうことは知らんだろう>

と言わんばかりの時がたまにあった。

 そういう雰囲気を、見聞きできる距離で目撃したこともあった。雄一郎は別に不快に出るわけではなかったが、何か自分とは違う人間に思えた。


 その広田が、手をついて深々とお辞儀をしたのである。

 <これは、これは>

と、雄一郎は思った。そして

 <よほど、沖川君を買っているのだな。あるいは、2人の仲がそれほど深いということか>

と合点した。沖川が調達関係の仕事をしてきた時、亜細亜製鉄の相方が広田だったと思いだした。


 雄一郎は、沖川の経営団体連盟の会長になることに反対ではなかった。広田らから一向に話が来ないので、噂話だと思っていたわけだ。

 広田から話が出た以上、これは沖川の話も聞いておかなければならない。

 「分かりました。いまここで、私が沖川君に代わって返事をするわけにもいきませんから、本人の意思を確かめましょう。私も、特に異存はありません」

と、雄一郎は応えた。

 それを聞くと、広田は

 「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

と、何度も雄一郎に言うのだった。