川越夫妻の好意に甘え、綾子のパリでの1年はあっという間に終わってしまった。川越祐一は、

 「もう少し延長してもいいよ」

と言ってくれたし、妻の君子も、

 「そうしなさいよ」

と勧めたが、綾子は、いつまでも夫妻に甘えることはできないと思った。大使館でも、2人だけの部屋で日本語をしゃべっていたのでは、いつまでたっても祐一のフランス語は上達しない。しかも、それが綾子の滞在延長によるものだから、そんなことは申し訳ないと考えた。

 また、1年間休学したが、親に対して、これ以上休学を続けるのも申し訳ない、とも考えた。それで、ここは潔く、最初の予定通り、日本に帰ろうと決心した。

 自分のアパートから毎日の行き帰りに、パリの光景を楽しみながら、ちょっとフランス語を使ったり、川越夫妻と自動車で南仏やドイツを旅行したことなどが、楽しい思い出として残った。たまに、フランスの男に言い寄られたこともあるが、断固として拒否してきた。そういうことを考えるのが嫌だったし、雄介のことを考えていた。自分がこの先どうなるのか分からないが、少なくとも自分自身は、雄介の妻になりたいと夢想していたところもあった。

 

 1年たって、綾子は、日本に戻った。大学に復学すると、もう雄介も健三も大学を卒業して、就職していた。調べたわけではないが、特に大学に残るということを聞いたいなかった。あの2人のことだから、きちんと4年で卒業したはずだ。

 サークルは止めていたので、たまり場にはいかなかったが、ある日、ばったりと、サークルの同学年の女子学生と顔を合わせた。

 「久しぶりねえ。どうしてたの」

と尋ねる同級生に、この一年あまりのことを話した。

 「ホント、そんな制度があったんだ。フランスとはねえ。でも、みんながっくりしてたわよ。特に杉田さんは、なんであなたが止めたんだろうって、何度も口にしていたっていう話だわよ。それで、一時期、浴びるように酒を飲んでたそうよ。まあ、そのうち商社に就職が決まって、大分落ち着いたようだけど」

 「杉田さん、商社に決まったんだ。ほかの方は」

雄介のことを聞きたいのだが、名前は口にはできなかった。

 「石田さんは銀行、藤波さんはデパート、川島さんはどこだったけ、うーんとメーカーだったなあ、あっそうだ家電メーカーね」

 なかなか雄介の名前が出てこない。

 <山中さんって、そんなに存在感がなかったっけ>

 そんなふうに綾子は考えたりした。

 「そうそう、みんなのあこがれの的だった山中さんね、あの人は、日本でトップの新聞社に行ったのよ。それで今は四国の支局にいるらしいわ。そうそう、あなたも四国だったわねえ。でも隣の県らしいわ」

 「あら、そう」

綾子は、わざと関心なさそうな返事をした。

 それから3年の間、帰省した時などは、隣県の県庁所在地に行って、雄介に会いに行こうかとも考えたが、やめておいた。相手がそういう気持ちでもないのに、自分から行くのは、自分がみじめだ、可哀想だと思ったのだ。

 ともかく、何かに打ち込もうと思って、一生懸命フランス語を勉強したのだった。