沖川は、晴れて代表取締役会長に就任した。社長には、アメリカの現地製造子会社の社長だった長山がなった。長山は、実直な性格の技術屋だが、ユーモアも解し、いつもニコニコとしていた。


 今回の人事も、発表が近づくとマスコミに漏れた。とはいえ、マスコミは、沖川の会長就任を当然のことと受け止めていた。それだけ功績が大きかったからだ。そして、役員人事を決める取締役会が開かれ、正式に決定すると、その日に記者会見が開かれた。当日のテレビのニュースや翌日の新聞を見ると、どれも沖川の会長就任を評価する内容で、中には

 「トミタの創業家による経営はこれで終わる」

と書いている新聞もあった。その内容に、息子の保男の社長就任に期待を寄せる雄一郎にとっては

 「そんなことはまだ分からんじゃないか」

と思ったりしたが、創業家とはいえ雄一郎にとって、将来保男の社長就任をごり押しすることはできない。

 「社員、役員、株主が決めることだから、社長になれない器量なら致し方ない」

という考えだった。

 とはいえ、沖川の会長就任がマスコミに評価されたことで、雄一郎はほっと胸をなでおろした。

 「これで、沖川君を選んでなかったら、なぜだといぶかるマスコミもあったかもしれない。秀二さんの反対を押し切ってよかった」

 と思った。


 秀二は、その朝、やはり新聞を見て、

 「ふん」

と鼻先で笑っていた。

 「こいつが何を考えているか分かっているぞ。トミタの大改革を今後は大々的にやろと思っているんだろう。そうはさせるか。トミタを変えるということは、日本経済いや世界経済を引っ張ってきたトミタ経営、つまりは日本型経営の原点の否定なんだ。アメリカ型経営に持っていこうとしているのだろうが、アメリカ型経営のどこがいいのだ、短期の利益しか認めず、株主がごっそり配当しなければいけないから研究開発に回すカネもなくなってしまう。おまけに経営者はごっそりボーナスを取るから、労使の関係は常に安定していない。そんな経営がいいと言えるのか」

そういうことを考えると、憤ってくるのだった。