綾子の部屋に入ると、ジャックは部屋の中央に行って、いきなり土下座をした。綾子は目を丸くした。
<フランス人が土下座なんてするのかしら>
不思議に思ったが、
ハハーン
と気がついた。おそらく、よく店に来る日本人から
「日本人の謝罪で最も重いのは土下座であるとか」
とか
「ハラキリがなくなった後、近代日本では、誠意を表わす一番の方法は土下座である」
などと聞いたのであろう。そんなことを言いそうな日本人が2、3人浮かんだ。
「ははは、ジャック、止めなさい。そんなことしても、なんの役には立たないわよ。いったいどういうつもりでドゲザなんかするの」
「私のお詫びと誠意のつもりです」
ジャックは真剣な目で言った。
「お詫びって、なんなの」
「ご主人と別居することになったのは、私のせいだと考えました。ご主人が、われわれの関係に気づいていないとはいえ、こういう事態に陥らせたのは、すべて私の責任です。それに、私の気持ちが真剣である証(あかし)として、あなたが許せば結婚の誓いをしたいと思います」
綾子はまたおかしくなったが、笑うのをこらえた。
「ジャック、聞いてちょうだい。私たちの別居は、あなたには関係ないことなの。それに、こうなった以上、私は、夫のジャックとは別れるけど、再婚はするつもりはないわ
。今はそんなこと考える余裕もないのよ」
「それは今のあなたの気持ちです。私は、いつまでもあなたを待ちます」
<やれやれ>
と綾子は思った。
<どうして、私の近くのフランス人は、優しすぎる人ばかりなのかしら。それにこんなにうぶだなんて、信じられない。誰かに似てるわ。そうそう、杉田健三さん。私より2つ上の人だったっけ>
そんなことを考えていると、ジャックは、今度は、綾子の左手を手を取って、右ひざをついた格好になった。そして、
「あなたを愛してます(ジュ・テーム)」と言いだした。それからやおら立ち上がると、突然綾子に、キスをし始めたのだ。
綾子は驚いたが、何もいう余裕はなかった。
「だめ、だめよ、ジャック」
そう言おうとした綾子の口は、ジャックの口でふさがれた。