しばらくの沈黙の後、雄介がおそるおそる尋ねた。

 「それを知ったご主人は、なんともなかったの。自分の店のシェフとそのなんていうか・・・」

 綾子が、じれったそうに口を開いた。

 「私が出て行った後、1週間くらい連絡はなかったの。もっとも、私も連絡先は言わなかったけど。でも、探そうと思えば、すぐ分かったのよ。一番親しかった独身の日本人のところにころがりこんだのだから。ホテルでもよかったけど、わざと分かるようなところにしたの。彼が、どう出るか見たかったのね。私も、したことがしたことだから、どうしても別れるつもりだったの。その一方で、こんなことを考えるなんて悪い女ね」

 「で、1週間後に、連絡が入ったわけだ」

 「入ったて言うか、彼女、友人の有紀子さんが知らせたのじゃないかと思うの。でも、どちらでもいいわ。彼から電話があって『会いたい』と」

 「それで会ったわけだ」

 「ええ。有紀子さんのフラットでね。彼女は、夫が来る前から、部屋を出て行ってくれたわ。夫は、『僕もずいぶん悩んだけど、すべてを許したい。ジャックを首にするようなことはしない。もっとも、あいつの腕なら、どこでも雇ってくれるだろうけど。また、この件は、ジャックには黙っておくが、2度と関係はもたないでくれ。子どもは2人の子どもとして育てる』と、そういうの」

 それから、綾子の話は少し時間がかかった。綾子は、なぜ、夫が無精子症だということを綾子に知らせなかったのか、聞いたという。夫の答えは、

 「男として、情けないと思った。君が子どもをほしがっているし、僕もほしかった。でも、僕が無精子症だと知って、君が去っていくのでないかーと思った。それが怖かったのだ」

 と語ったのだという。そして、涙を流した。それを見ていて、そうだったのかと綾子は思い、浮気をしたことを深く恥じた。そして、そっと、夫を抱き寄せるのだった。

 「僕を許してくれるのか」

と尋ねる夫。

 「もちろんよ。あなたも私を許してくれるのね」

 「とっくに許しているよ」

 「でも、私がしたことは罪深いことよ。それで、あなたにところに戻ることはできない」

 「えっ、どうして」

 「私の気持ちがゆるさないの」

 「そんなばかな」

 「こんなことをしたのに、また笑ってあなたと過ごせると思って」

 「僕は構わない」

 「いや、だめなのよ。絶対にだめよ。やがて、あなたが私を許せなく思う日が来るかもしれない。また、地獄の日々が始まるのよ。そんな日が来ないとしても、私には耐えられない。あなたを忘れたいの」

 「・・・」

夫のジャックは、黙っていたが、

 「また来る」

と言って、静かに出て行った。