発病してから再燃するまでの期間、色々な事を考えました。
今もそうですが、今考えると再燃するまでの3年間は迷子状態だったように思います。
まず、病気である事を診断され、病名を告げられた時。
全身性エリテマトーデス
なんでしょうそれは?となると思います。
発病当時通院していた病院には膠原病の先生が2名いて
私の主治医だった人も診断をした先生もどちらの先生もあまり深い話はしない人です。
どんな病気ですか?と聞くと言われたのが
『大丈夫!この病気は金かかんないから!』
という事。
診断をしてくれた先生の方は、患者に変に考えさせない為に深い話をしないみたいです。
入院が決まった後、軽く10分程度の病気の説明を家族同伴でしたようですが、
この時は具合が悪かったので、あまりちゃんと聞いてませんでした。
回復してきた後、改めてどんな病気か聞いてみましたが、
免疫が自分を攻撃していて、完治する事はない
という事くらいしかわからず、全然イメージがわきません。
私の知識不足と、想像力が足りないのかもしれませんが、
完治しないのであれば、これから何をどうしていったらよいんだ?
と考えます。
そこから色々調べ始めました。
今程ネット環境も充実していなかったので、
主に携帯で検索。もしくは関連書籍を買ってきてもらって読んだり。
誰しも一度はやった事があると思いますが、
ネットで検索して、病気の概要のページとか見ると、とても恐ろしい事が書いてあってびっくりします。私も最初すごくびっくりしました。
とにかく、急に入院をしてしまった以上、まわりの人にある程度説明出来ないといけないしと思い自分なりに調べ、人に説明する事でちょっとずつ自分自身は理解を進めていきました。
しかし、難病というだけあって、伝えるのも一筋縄ではいかないもんです。
とりあえず、病名と概要、今後どんな治療をしていくかを話すのですが、
ちゃんと伝わっていないだろうなと感じる事がほとんどでした。
発病当時、どう伝える事が得策だったか、今でもわかりませんが、
噂が噂を呼んで、一生病院から出られないとかあちこちでおかしな話が出て来たりもしました。
そこで、変に心配をかけても申し訳ないと思い、
手紙やメールやblogなどを使い、
自分の病気の概要と、今どんな症状が出ていて、どんな治療をしているか
などをまわりの人に伝えました。
しかし、これはなんとなく裏目に出たように思います。
そう感じたのは、退院してからです。
元気そうなのに難病患者である私にどう接していいか
迷いながら接してくれている人がほとんどでした。
普通を装っているけどなんか違う。
最初は気のせいかと思っていたのですが
一般的には、退院=完治であるのに
完治してない。
なんて言っていいか分からない雰囲気が犇犇と伝わってくるのです。
もともとのキャラクターとのギャップもあるんだと思いますが、
その雰囲気はとても複雑です。
どこまで何を言うべきだったのかと今でも疑問です。
仕事に関して諸事情もあり、上記のような経緯もあった為、
色々考えたうえで、新しい職場に転職しました。
見た目ではわからない事と、症状も落ち着いていた為、
新しい職場には病気の事は言わないという選択をし、
ずっと内緒にしていました。
私を病人として見ず、普通の人と同じように接してもらえる事が嬉しくて仕方なかったのです。
それと同時に仕事が楽しくて楽しくて、自分が病気である事も、長期入院していた事も薄れに薄れ、毎日楽しく働いていました。
。。がしかし、結構思ったより早く再燃してしまい、再び入院する事になってしまいました。
2回目は会社関係の必要最低限の人にしか病気の事を言わず、
それ以外は聞かれた時だけ聞かれた事に答える事にしました。
伝わってなさそうな雰囲気でも、聞かれた事以外は答えずにいました。
しかし、それもそれで余計な心配を招くもんなんですね。
難しいです。
発病してから再燃するまで、
極力普通にしている事と、まわりの人にも普通に接してもらう事を望んできましたが、
再燃した後は少し違ってきています。
普通に接してもらうべきではないのかも?
と感じ始めたくらいで、まだ迷子状態である事には変わりません。
今まで自分の病気の事を話してきた事を振り返ると、
病気を分かってもらおうというのはただの自己満足なのではなかっただろうか?
とか
私が迷いながら説明しているから上手く伝わらないのだろうか・
とか
色々考えます。
もっと知識を深めるべきなのか、もっと病気を全面に出すべきなのか
とかも考えます。
きっと加減の問題なんだと思うんですが、調節が難しいですよね。
(ガスコンロの火加減みたい!私は弱火にするのが苦手です)
まだ迷子状態ではありますが、
おまわりさんに助けてもらうんじゃなくて、なんとか自分で迷子脱出が出来たらいいなと思います。
今もそうですが、今考えると再燃するまでの3年間は迷子状態だったように思います。
まず、病気である事を診断され、病名を告げられた時。
全身性エリテマトーデス
なんでしょうそれは?となると思います。
発病当時通院していた病院には膠原病の先生が2名いて
私の主治医だった人も診断をした先生もどちらの先生もあまり深い話はしない人です。
どんな病気ですか?と聞くと言われたのが
『大丈夫!この病気は金かかんないから!』
という事。
診断をしてくれた先生の方は、患者に変に考えさせない為に深い話をしないみたいです。
入院が決まった後、軽く10分程度の病気の説明を家族同伴でしたようですが、
この時は具合が悪かったので、あまりちゃんと聞いてませんでした。
回復してきた後、改めてどんな病気か聞いてみましたが、
免疫が自分を攻撃していて、完治する事はない
という事くらいしかわからず、全然イメージがわきません。
私の知識不足と、想像力が足りないのかもしれませんが、
完治しないのであれば、これから何をどうしていったらよいんだ?
と考えます。
そこから色々調べ始めました。
今程ネット環境も充実していなかったので、
主に携帯で検索。もしくは関連書籍を買ってきてもらって読んだり。
誰しも一度はやった事があると思いますが、
ネットで検索して、病気の概要のページとか見ると、とても恐ろしい事が書いてあってびっくりします。私も最初すごくびっくりしました。
とにかく、急に入院をしてしまった以上、まわりの人にある程度説明出来ないといけないしと思い自分なりに調べ、人に説明する事でちょっとずつ自分自身は理解を進めていきました。
しかし、難病というだけあって、伝えるのも一筋縄ではいかないもんです。
とりあえず、病名と概要、今後どんな治療をしていくかを話すのですが、
ちゃんと伝わっていないだろうなと感じる事がほとんどでした。
発病当時、どう伝える事が得策だったか、今でもわかりませんが、
噂が噂を呼んで、一生病院から出られないとかあちこちでおかしな話が出て来たりもしました。
そこで、変に心配をかけても申し訳ないと思い、
手紙やメールやblogなどを使い、
自分の病気の概要と、今どんな症状が出ていて、どんな治療をしているか
などをまわりの人に伝えました。
しかし、これはなんとなく裏目に出たように思います。
そう感じたのは、退院してからです。
元気そうなのに難病患者である私にどう接していいか
迷いながら接してくれている人がほとんどでした。
普通を装っているけどなんか違う。
最初は気のせいかと思っていたのですが
一般的には、退院=完治であるのに
完治してない。
なんて言っていいか分からない雰囲気が犇犇と伝わってくるのです。
もともとのキャラクターとのギャップもあるんだと思いますが、
その雰囲気はとても複雑です。
どこまで何を言うべきだったのかと今でも疑問です。
仕事に関して諸事情もあり、上記のような経緯もあった為、
色々考えたうえで、新しい職場に転職しました。
見た目ではわからない事と、症状も落ち着いていた為、
新しい職場には病気の事は言わないという選択をし、
ずっと内緒にしていました。
私を病人として見ず、普通の人と同じように接してもらえる事が嬉しくて仕方なかったのです。
それと同時に仕事が楽しくて楽しくて、自分が病気である事も、長期入院していた事も薄れに薄れ、毎日楽しく働いていました。
。。がしかし、結構思ったより早く再燃してしまい、再び入院する事になってしまいました。
2回目は会社関係の必要最低限の人にしか病気の事を言わず、
それ以外は聞かれた時だけ聞かれた事に答える事にしました。
伝わってなさそうな雰囲気でも、聞かれた事以外は答えずにいました。
しかし、それもそれで余計な心配を招くもんなんですね。
難しいです。
発病してから再燃するまで、
極力普通にしている事と、まわりの人にも普通に接してもらう事を望んできましたが、
再燃した後は少し違ってきています。
普通に接してもらうべきではないのかも?
と感じ始めたくらいで、まだ迷子状態である事には変わりません。
今まで自分の病気の事を話してきた事を振り返ると、
病気を分かってもらおうというのはただの自己満足なのではなかっただろうか?
とか
私が迷いながら説明しているから上手く伝わらないのだろうか・
とか
色々考えます。
もっと知識を深めるべきなのか、もっと病気を全面に出すべきなのか
とかも考えます。
きっと加減の問題なんだと思うんですが、調節が難しいですよね。
(ガスコンロの火加減みたい!私は弱火にするのが苦手です)
まだ迷子状態ではありますが、
おまわりさんに助けてもらうんじゃなくて、なんとか自分で迷子脱出が出来たらいいなと思います。