おはようございます
DDです。

 

何でもかんでも“ちゃんと”やろうとする人がいます。
いや、いますというか、昔の自分がかなりそうでした。

 

雑でいたくない。
甘く見られたくない。
手を抜いたと思われたくない。

 

こういう気持ちって割と多くの人が持ってると思うんですよ。
だって、自分のことを不真面目な人間だと思われるのは誰だって嫌ですもんね。


そういう気持ちはめっちゃわかります。
むしろ、その感覚自体はけっして悪いものではないですしね。

 

ただ、問題はそこからです。
その真面目さが、いつの間にか自分を壊す方向に回り始めることがあるんですよね。

特にトレードでは、それがかなり露骨に出ます。

ということで今回のテーマは、 **適当**です。

 

この言葉って現代ではかなり印象が悪いですよね。


いい加減、雑、無責任、手抜き。
そんなイメージが先行してしまう言葉になっています
でも本来は、そういう言葉ではありません。

 

適していて当たっている。
過不足がない。
必要なところにだけ力が入っている。

これってとてもいい状態だと思いませんか?

 

何でもかんでも“ちゃんと”を求める空気は息苦しい

最近は特にそうですが、何に対しても“ちゃんと”していることが正義みたいな空気があります。

  • ちゃんと考える。

  • ちゃんと準備する。

  • ちゃんと説明する。

  • ちゃんと反省する。

  • ちゃんと努力する。

もちろん、それ自体は間違っていないです。


ただ、何でもかんでもちゃんとやろうとしてしまうと、すごく息苦しいんですよね。
やり始めることすら多大なエネルギーがかかるので、気楽に何でもやってみようかとはならなくなってしまいます。

 

人間は機械じゃないので、常に全箇所を均一に“ちゃんと”なんかできません。
それなのに、全部をきっちり整えようとする。その時点で、もうかなり無理をしている。

 

丁寧さを信仰みたいに扱う感じが、どうにも気持ち悪い。


常にちゃんとしていることが尊いんじゃなくて、
本当に大事なところで外さないことのほうが大事でしょう、と思うんですよね。

 

その息苦しさは、トレードでも人を狂わせる

そしてこの感覚は、トレードに入るともっと厄介になります。
相場では、 真面目さがそのまま武器になるとは限りません。

むしろ逆に、 変な方向に真面目な人ほど崩れやすいです。

 

根拠を増やしすぎる。
監視しすぎる。
一回の負けを重く見すぎる。
取り返そうとしすぎる。

これらは全て、真面目にトレードに取り組んでいる人ほど陥りやすい行動です。

でも、相場は「真面目にやってるから勝たせてあげよう」とはならないですからね。

逆に、
頑張りすぎた人から判断が濁る。
見すぎたせいで余計なことをする。
ちゃんと分析しすぎたせいで、その場面ではあまり関係のないリスクを見つけてしまい、そのせいで入れなくなる。
こういうのは結構あるあるなんじゃないかと思うんですよね。

 

自分では真面目に向き合っているつもりなのに、その向き合い方自体が、正しいトレードの邪魔をすることになる。

ちゃんとやろうとしているだけなのに、そっちが逆に枷になる。

これね、実際にすごく多いんですよ。

 

雑なのではない。過不足がないだけだ

ここで言いたいのは、適当とは雑だという話ではない、ということです。
『必要なところだけ締める。』
『いらないところでは力を抜く。』
『触るべきものだけ触る。』

ちゃんとすべきところは全力で丁寧にするんですよ。

 

なんか普段はかなり適当なのに、

コンスタントに結果を残してたり、

失敗がめちゃくちゃ少ない人があなたの身の回りにもいませんか?

 

真面目な人ほど、全部に責任を持とうとします。


全部を見ようとする。

全部を理解しようとする。

全部を取ろうとする。

けれど、そういう全方位の構え方はだいたい長持ちしません。

 

過不足がない、というのはかなり冷静に物事を判断できている状況です。

やらなくていいことを減らすし、触らないものを決めるし、捨てるものを決めるからです。

 

私は、そこにこそ美学があると思うんですよね。

 

余計なことをしない。盛らない。傷を増やさない。

 

追い詰められている感じが全くない、常に冷静で余裕がある人ってめちゃくちゃ格好良くないですか?

 

きっちりやることを目的としない

誤解をしてはいけないのは、
きっちりやること自体が悪いわけではないということですよね。

ただ、人はわりと簡単にそこに気持ちよさを感じてしまいます。
これだけ見た。 これだけ考えた。 これだけ準備した。

そういう“やった感”の中身が、ただの自己満足になっていることがあります。

 

本来、丁寧さは手段のはずです。
判断を雑にしないため。 見落としを減らすため。 自分の型を保つため。


それなのに、丁寧であることそのものが目的になると変になります。

トレードノートをきれいに書くことに満足するみたいなものです。

ノートで大事なのは、

振り返った時にいかに身になる情報が書き込まれているかであって、

読み返しやすいレイアウトではありませんよね?

 

見た目だけ誠実で、実のところは自己満足。


正直これを、ちゃんとやってるとは言えないんじゃないかと思います。

 

自分を追い込む真面目さは、美徳ではない

真面目であることと、 自分を追い込むことは別です。

苦しいのに見る。しんどいのに張る。おかしいと感じているのに惰性で続ける。
こういうのって、本人の中ではやってる感があるかもしれないけど、正直あまり価値を感じませんよね。

 

無駄に傷だらけになっているだけなら、それは努力というより、ただの消耗です。

しかも、消耗している本人ほど、そこまで削った自分を無意味だったとは思いたくないから、それを努力だと思いたがる。

傷が多いことと、強いことは別です。
むしろ逆に、無駄に傷が多い人ほど、いざという時に脆い。

 

相場で大事なのは、やり切った感ではなく、
状況関係なくいつもの自分でいられたかです。

守るべきなのは、気合いやメンツではありません。
まずは、いつ何時でも崩れない自分です。

 

私が考える、本来の意味での「適当」な振る舞い

相場は理不尽です。だからこそ、こちらまで律儀に付き合う必要はありません。
自分が迷走しないためにいい意味で「適当」な距離感を置くことが大事です。

  • 触るべきところだけ触る
    全部を触ろうとする時点で、だいたい欲が前に出ています。機会を減らすことは逃げではありません。余計な場所で削られないための選別です。拾わないものを決めている人のほうが強い。

  • 深追いしない
    「まだいける気がする」という執着は、引き際を失わせます。全部を取れなくていい。その代わり、変な執着で崩れないことのほうが大事です。

  • 熱くなったら離れる
    熱くなると視野が狭くなります。負けたからではなく、自分を守るために離れる。この感覚は、もっと正当に評価されていいと思っています。執着するなら、“勝ち”ではなく“型”に執着する

勝ちに執着すると、判断が歪みます。都合のいい根拠ばかり拾うようになる。

でも、自分が反復できる「型」だけに集中すると、かなり崩れにくくなります。

 

結局、残るのは再現性のあるものだけなんですよね。
たまたま上手くいった一回より、何度も繰り返せる形のほうが価値があるわけですよ。

自分が本当に磨いてきたものだけを残し、それ以外は削る。
これこそがトレードの勝利の方程式です。

 

結局、「適当」にできる人だけが長く残る

長く残る人って、やっぱり“適当”なんですよね。
必要以上にやらない。 無駄に削られない。 熱を持ちすぎない。深く考えすぎない。

全部を拾おうとする人は、基準が崩れ、最後には全部を失います。

力を抜くのは、 鈍るためではなく、 必要なところで全力を出せる余力を残すため。

要するにこれはサボってるわけではなく、戦略です。

結局は自分を守れない人に、継続的な勝ちはないんですよ。

勝つこと自体は大事ですが、 それ以上に、
大事な所で全力を出せるような余力を常に残しておくことが大切です。

今回書きたかったのは、 「適当が大事です」という軽い話ではありません。

何もかもちゃんとしようとすることが、 ときに自分を壊す。
その認識のズレが及ぼす影響の話です。

 

“適当”とは、 雑にやることじゃない。


余計なものを削ぎ落として、 自分が壊れない形を守ること。

 

きっちりやっているのに苦しいなら、 

もしかしたら足りないのは根性ではなく、

力を抜く場所を見極める感覚のほうかもしれませんね。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ぜひいいね&フォロー、感想などもお待ちしております!