こちらではお久しぶりです。

チャイちゃです。


6月かぁ

もう今年も半分!?


やり残したことしかないのでがんばります!!



そんな本日

父方の曾祖母の五十回忌の法要がありました。


50年前、チャイはまだゼンゼン影も形もないので

ひいばあちゃんがどんな人で

どんな声でどんな風にお話する人なのかとか

背はどのくらいとか腰は曲がってたか伸びてたかとか

まったくしらなくて、遺影のお顔しか存じません。


父と二人で自宅にて行われた法要。

父が繰り返し「安心した」「出来てよかった」と言ってて

お寺さんも「1つの区切りですからね」「50年となると世代も代わるから…」って話てて


考えてみれば

チャイと父は3周り違いで同じ干支なんだけど


仮に父が90まで生きられたとして

その頃チャイは54で

父の五十回忌法要をしようとしたら

チャイは100歳overなわけで

そう考えると、なかなか出来ることじゃないんだなって…


五十回忌が終わったからってもうその故人に手を合わせないのかって言ったらそうじゃなくて、一つの区切り。

な、わけなんだけど


ディズニー映画の『リメンバー・ミー』の影響も相まって(笑)

そして

今年は母方の祖父が亡くなって、チャイ家は30年振りの喪中になりまして

故人を想うことについて考えらさるのよね。

(来週は祖父の四十九日。

チャイは行けないけど、お花を贈ろうと思うよ!)



曾祖母はきっとチャイのこと見ててくれてて

お盆とか会いに来てくれてたのかもしれない。

五十回忌だし、昨日はお仕事休みで心身的余裕もあるからと思って、うま煮を作ったの。

“おぼくさん”と一緒に父があげてくれてたんだけど

作ってよかったなって(◍•ᴗ•◍)


そうそう!!

“おぼくさん”って仏さんにあげるゴハン🍚のことなんだけど

我が家では普通に使ってる言葉だったんだけど

ある時ふと調べたら富山での言い方らしく


父方の曽祖父が富山からきて、今の苗字を名乗り始めたのが我が家の始まりらしくて

曽祖父はチャイが1歳の時に死んじゃったから曾祖母同様、遺影でしか知らない人なんだけど


北海道の地で富山のDNAが今尚、残ってるんだなってことに感慨深くなるよね!!!



それとね!父から

修学旅行とか遠出する時に「仏壇にあげるもの買ってくるんだぞ」って言われて

「何事もなく無事に帰ってこられたのは、じいちゃんやばあちゃんが見守っててくれてるからなんだ。だからどっか行ったときは“無事に帰ってこられました。見守っててくれてありがとう”ってなにか仏壇にあげるもの買って来いよ。」っていわれてきたの。

だから今も、母方の実家へ行った時(道内だけど片道車で5時間over)や、東京遠征した時、出張帰りに必ず「仏壇に何買おう」ってなるの。

修学旅行に行ってたような頃は、半ば父に言われてやってた感があったけど

今となっては習慣化されてて(笑)

それでも父が「いつもちゃんと仏壇に買ってきて偉いな」って言ってくれるの、なんとなく嬉しかったりもしてる(*^^*)


物心ついたときには家に仏壇があって、おぼくさんやお花やお菓子をあげて

お盆と秋の彼岸にはお墓参りして

寝るときは遺影に手を合わせて

「おやすみなさい。1日見守ってくれてありがとう。」って心の中で言うの当たり前すぎて


でも、チャイが2歳になってすぐに父方の祖父が亡くなったのが最後だったから

手を合わせている相手の思い出とか本当に無くて…


今日の法要とか「あたしが居る意味!?」とか考えたりもしたんだけど


むしろチャイの方が実りを得たような

そんな日でした。



とっぺんぱらりのぷう