「一寸先は闇」とか「明日は我が身」なんて言うけど

本当にそれはあり得ることなんだなって思ったの


平成30年北海道胆振東部地震

北海道って本当に大きいから、オホーツク海側に住んでる祖父母は全く地震のことなんて知らずに、朝起きたらテレビも電話も使えなくなっていたらしいです。
深夜3時だったしね。

あたしはというと、祖父母に比べたら断然震源地に近い所に住んでいたので揺れた揺れた……

本当に死ぬかと思った。
揺れがおさまったあと、眠気なんて皆無だった。

震源地の人はもっと凄かったのかと思うと
もし、その震度の地震が自分の住んでいるところで起きたらと思うと
ゾッとするというか、吐き気がするというか…
もう本当に、想像なんかできるわけがなかったよね。


この地震による大きな被害は停電でした。

搾乳器が使えない酪農家さんたちが、どれだけの売上分になったかわからない牛乳を廃棄せざるを得なかったのか
そんな中、どうにか営業再開したスーパーでは1家庭につき牛乳、卵1つずつ。菓子パンお一人様1つまで。とかで…
冷蔵庫が使えないから卵とかも一気に大量消費しないとだったのに買えないっていう状況ね。
2~3週間くらいしたらある程度落ち着いていったかな…地域差は大きいと思うけど。

あと、うちでは耐震性のない古い食器棚が揺れの影響で、勝手に戸が開いてグラスが落ちて割れてしまったんだけど
朝になってからも掃除機が使えないものだから
大きい破片は手で拾って、目で見える範囲は(フローリングだったけど)コロコロして…
何処に破片が飛んでるかわからないし、いつもまた余震があるかもわからなかったから
なるべく食器棚の付近には行かないようにして、基本は家の中ではスリッパを履くようにしていました。
あと、その食器棚の戸には念のためガムテープを貼っておきました。
予防したらならないんだもんなぁ…良いことなんだけどなんていうか…ね?(苦笑)

家の外に出ると、信号は点いてないし
明るくなってからコンビニに言ったら
絶えず人が出入りして
乾電池やカセットコンロ用のガスボンベ
携帯の充電器、水やお茶のペットボトルはなくて
冷凍食品は解け始めていました。

断水もあったんだけど、停電したタイミングで大きな鍋と浴槽に水をためてたからどうにかやり過ごしたけど
お風呂に入れないのは辛かった…
翌朝には水が出たんだけど、電気とおってないからボイラーが上がらなくて仕方がなく水でシャワー浴びたんだけど
丁度、女子の日だったんですよ(笑)

女子のみんな~女子の日は身体冷やしちゃいかんよ~
めっちゃ気持ち悪くなるから←

復旧は地域差ほんと凄くて
同じ中学行ってた子の家の方は電気使えてて
あたしの家の方は翌日まで使えなくて…って感じだった。

今尚、家に帰られないとか仮設住宅でどうにか暮らしてる方たちもいれば
地震の影響でご家族やお友達を亡くされた方も居たわけで
今まで震災があっても、北海道って関西や北陸、東北から離れてるから近隣の外国の出来事くらいな気持ちだったんだけど
実際に北海道で起きると…今までニュース軽視してたわごめんなさい!!みたいな気持ちになる。
(決して軽視していたつもりではないけど)

しかも、震災の前日には台風(元台風だっけ?)が通っていって
それも夜中で目が覚めて
『オズの魔法使い』や『プーさんとおおあらし』のお話に入り込んだかのような大きな風で家ごと飛ばされても不思議じゃないのでは?って状態だった。
JRが停まってたり、大きめの木の枝が道端に転がってたりしていて
この時の台風のせいで関空が水浸しになったんじゃなかったっけ?

メディアは新しいもの好きだから、直ぐに北海道の地震のことを取り上げていくから関西の台風被害の話が全く無くなっちゃって
ましてや個人的には地元局のテレビやラジオを見聞きすることが多いから
自分で調べようとしないと知ることのできない、報道するべき事柄があるんだってことをTwitterで知って憤りを感じることもありました。

難しいところかもしれないけどね…

何を言っても言い切れないし、あとから思い出して「あ、そうそうあのときね!」なんてことが
今後もあるかもしれないです。


取り敢えず去年の9月で地震はお腹いっぱいです(´・ω・`)



令和が平和に暮らせる時代になりますように