インドネシアで通っている大学の生徒さん4人が川で亡くなった。

わたしは大学の学部長の家にお世話になってるので
病院とお葬式についていった。

病院で遺体をみた。
頭部がぐしゃぐしゃになっていたのを縫い合わせてある程度もとの形に戻す作業が行われていた。

その作業が行われている空間に一般の人も入ることができる。
手を伸ばせば触ることもできる距離で見れた。
わたしは直視出来なかったが、これは避けてはいけないと感じ少しだけ見た。
写真をとっている人もいた。

人が亡くなって泣き叫ぶ人もいれば
珍しい経験だと写真を撮る人もいる。

わたしは少し怖くなった。

人が亡くなるのをみるのは入院していたときと今日。2回目。
お葬式に行ったのは初めて。

人はいつか死ぬ。
それが50年後かもしれないし明日かもしれない。

今までで今日ほどわたしは生きているんだ。と強く感じた日はない。

死が他人に与える影響の大きさを思い知った。

わたしはその日一日、自分が死んだらどうなるだろうか考えていた。

悲しんでくれる人はいるだろうか。
みんなわたしのことを何と語るのか。
わたしが死んだことで大変な思いをしていないか。

わたしはわたしが死ぬことで人がいなくなることを寂しさや、
生きていることのありがたさを感じてもらいたいと思った。
家族に心配がかからないようにしたいと思った。

わたしは明日死んでも良いように正直に生きようと思った。
後悔しないように。

誰かが生きれなかった今日をわたしは生きていると思うと精一杯生きねばならぬと思った。

死は生を際立てるものだと本で読んだのを思い出した。


この考えているきっかけは人が死んだこと。
死ぬこと、いなくなることで与えられるものがある。