言葉が不適切であったり、まとまりがなかったりすると思います。
すみません。
経験したこと、考えたことを自分の言葉にするため
書いてまとめようと思います。



5月25日、26日。
わたしは「ひだまりキャンプ」にボランティアとして参加してきました。
島根大学で特別支援教育を専攻している3人と一緒に。

このキャンプはひだまりの会という障害を持った方々の集まりのキャンプで
わたしは障害をもった10歳未満の子供たちと遊びました。

ひだまりキャンプはこどもだけではなく
障害を持った中高生や大人の方、障害のある子供さんと親御さんなども参加していました。


自分が障害を持っていることを認め、理解し
今後どのように生活していけば良いかを考えるための話し合いが
このキャンプのメインでした。

わたしたちのお手伝いする内容は
親御さんたちが話し合いに参加している間、
話し合いは難しいと思われる小さい子供たちの面倒を見るものでした。



わたしは中学校の先生になりたいです。
知的障害や身体障害を持った人でも、特別支援学校に行く必要はないとされたかたは
障害がないひとたちと一緒の学校に行きます。

障害を持っている人と関わる機会をもちたくて参加してきました。

わたしは今まで障害をいうものを深く考えたことはありませんでした。
小学生の時、乙武洋匡さんの「五体不満足」を読んだくらい。


なんの知識もないまま子供達と2日間
積み木やカレー作りなどをして過ごしました。

2日間一緒にいたのに、どこが障害と言われているのかわかりません。


特別支援教育を専攻している人たちが言っていました。
「障害も個性だ」と。


一緒に遊んだ子達は、アスペルガー症候群や自閉症と診断されたと聞きました。



目が見えない、手が動かないなどは日常生活を行う上で問題があるので
障害ということばは仕方ないとは思う。
しかし、内面的な特性は個性でしかない。なぜ障害とされなければならないのか。
なぜ障害という、人を区別するような言葉があるのか。

わたしはこう思いました。

障害だからいじめられたり、障害持ってるから同情されたり
マイナスな面もあるだろう!!


でもその後、障害のことを詳しく調べると
障害である意味がわかった気がします。

アスペルガーと診断された人は
人の気持ちを察しにくかったり、協調性がなかったりというような
症状があるようです。

もちろん個性の一つであるので、一人ひとり違うのですが
一般的にはそう言われています。

その個性を持っていると
人とコミュニケーションをとるのが難しいです。
無意識に人を傷つけるようなことを言い、ケンカやいじめのもとにもなると学びました。


それを知っていれば、輪の中からはじき出されることは
少ないのかもしれない。
そのような個性なのだからわかり合おうと周りも歩み寄ってくれるかもしれない。



一番大切なのは、自分が「障害をもっていること知ること」
ではないかとわたしは今思っています。

そとからわからない障害は診断される時期は人それぞれのようです。
学校の先生が気づき、親御さんに受診をすすめるというケースもあるようです
もしかしたら、わたしの未来の生徒も…という可能性もあるかも。


わたしは障害を知ることの大切さを知りました。

障害についての知識がないと、わからないこともあります。
実際、わたしがそうでした。

参加してよかった。教師になりたいと思っていなければ
することのかなった経験だと思います。


出会った人たち、すてきでした。
新しい経験、大事です。