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大阪市平野区加美西のピアノ教室

マミーピアノ教室の安永真美です

 

練習嫌いの私がどうしてピアノの先生に…①

 

練習嫌いの私がどうしてピアノの先生に…②

 

練習嫌いの私がどうしてピアノの先生に…③


練習嫌いの私がどうしてピアノの先生に・・・④

 

 

 

母の夢は、私を音大へ行かせて

ピアノの先生にさせること

 

 

母もピアノ教師だったということもありますが

それにはもう一つ大きな理由が…

 

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私には弟がおります

 

父は、弟が生後6カ月

私が3歳の時に

心不全である時、急死してしまいました。

 

三つ子の魂百までとは

よく言ったもので

 

父が亡くなった時と

お葬式の事は、今でも薄っすらと

覚えています。

 

母は、私と乳飲み子の弟を抱え

父の実家で祖母と暮すようになり

 

女手一つで

ピアノを教えながら

私と弟を育ててくれたのでした。

 

自分の経験から

何があっても困らないように

手に職を付けさそうと

ピアノを習わせたのです。

 

そんな親の気持ちを知る由もない

親不孝な私…

 

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高校生活は、新しい友達も出来て

それなりに楽しかったのですが

いつも劣等感は持っていました

(自業自得ですがOK

 

 

高校は、商業高校の普通科へ入学

 

当然、ピアノの練習があるので

母からクラブ活動は禁止され、帰宅部ショボーン

 

部活動したかったな…(本音)

 

ちなみに、バレー部に入るつもりでした。

母かすれば、当然のごとくブーハッ

 

 

反抗期はまだまだ続く…

 

まっすぐ家へ帰りたくなかったので

高校に入ると、行動範囲も広がって

 

喫茶店へいったり(今はカフェというのかな?)

インベーダーゲームがある時代です(笑)

 

その他、友達の家へ遊びに行ったり

街をウロウロしたり…

 

ちょっとグレかけてたかも

(まぁ、可愛いもんです)

 

その頃の門限は7時

 

当然、破ることも多数ニヤリ

 

とにかく、高校生の頭で考えられる

ありとあらゆる手段で

反抗しまくっていました。

 

母の言う通りにしないと機嫌が悪くなり

反抗すると、10倍になって言い返され

自分の意思があって無い

 

自分のこれからの進路を

模索していく中で

ものすごく葛藤していました

むしゃくしゃしていました。

どうしたらいいかわからない!!

 

高校2年生の3学期にもなると

本当に自分の進路を決めなければ

ならない時期。

 

私は、とうとう決めましたチョキ

 

つづく・・・

 

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