前回の投稿から半年経っていました。12年ももうすでに下半期に突入。時間は万人に平等に与えられはしたが、その有効な使い方までは教えられなかった。。

ブログを放置してしまったのは、言いたいことがあるとTwitterで発散させてしまっていたからです。お暇がありましたら、@KOUYAMIZUMORIを覗いてみて下さい♪

2012年を迎えてからの半年は自分を見つめ直す機会が多かった。ある作家さんが著作のなかで、執筆という作業は業が深いと述べていた。いざ、執筆活動をしているとその意味が分かる。執筆という作業は、普段の生活では見る必要のないもの、いじる必要のないものを、能動的にアプローチする。それは己の心の深層部だ。今まで生きてきて経験したあらゆる心への蓄積の残りかすを撹拌し、追体験してしまう。良いことだけではなく、むしろ悪いこと、嫌な思い出のほうが濾過されず沈殿していて心の深層部に溜まっている。皮肉なことに、その沈殿物が執筆活動のエネルギーとなり財産となる。それを知っているから、あえてその暗部を無理にサーチライトで照らし、かき出し執筆という浄化装置にかけて成仏させる。作品の良し悪しは別としても、僕の場合はそういうことをしないと物語を書くことができない。
日常生活では必要のない作業をするので、ときにひどい自己憐憫に陥り、鬱々とした日々を過ごすこともある。だが、執筆を辞めたいとは思わない。浄化装置を失うわけにはいかないから。

夢ってなんだ。確かに執筆することは夢ではあった。
夢を叶えるために夢を追いかけ、夢に生きる。そうしなければ自分の理想にはならないし、そうしていない人はそうしている人を羨む。そういう人は大事なポイントを忘れている。それは、夢はユメ。寝ている時に見るユメと同じで現実ではないということ。夢を追いかける人を羨む人は、夢を追いかけている人は現実から遠い所で生きていると思い込んでいる。そうじゃない。夢を追いかけるってことはどれだけ現実に直面することか!ユメを具現化することがどれだけ大変か!それでも諦めないのは、夢があるからというより、そうしなきゃ生きられないからであり、衝動であり、エゴを貫く覚悟があるから。他人がなんと言おうが、常識はずれだろうが、知ったことかという怒り。既成のレール、生き方じゃなく自分でレールを埋設する。それがバカならバカでいい。自分を生かすために自分を殺すのなら。




Android携帯からの投稿