INFO FREAKO
前前回書いた友人N君との再会から二日後に、これまた11年ぶりになる大阪の友人A君とも再会したんだ。
当時を振り替えると夜のバイト生活は辞めていて、昼間の仕事 親父の仕事をやリ初めていた。
バンドの方はいくつ目か忘れたけど初めて同い年の奴らと、ほぼ同じ音楽の趣向だったんで勝負を賭けていたんだよねオレは。ヴォーカルが定まろず、スタートは少しばたついたけど動き初めて何年目かだった。
今でもはっきり覚えているんだけど、突然オレは辞めたくなったんだよ。
なぜか?
当時80年代末から始まった“ロック”の新しいスタイルにオレは完全にやられていたんだ。
ハウス・ミュージックの登場で“ハウス・ミュージック”や“ヒップ・ホップ”の手法を取り得た新しい「ロックン・ロール 」ってやつをやりたくてしかたがなかったんだよね(苦笑)。
挙げ句にこの日本でも、その後“ミクスチャー“なる色々な“音”を取り得たバンドがたくさん出始めたと同時に焦りを感じていた。
その手の“音”のファンでもあるから以前一緒にやってたバンドの奴と色んなバンドを見に行ってた。
“ロック”とは新しくなければと考えていたんで、たとえば今テレビにでてる“自称ロックン・ローラー”なんてのはダサくて滑稽。
あくまでも“カウンター・カルチャー”でなければと。
「いつまでも70年代のパンクを下敷きにしてるのはダサい!」なんて、オレはメンバーに呪文のように言いつづけ リハのたびに持ってくるオレの新曲は他とは全く合わないリズム重視の“その手”の物ばかり(苦笑)。
かなり無理があったね…
バンドは当時レコーディングしたばかりの2曲に自信があったから方向転換は難しかった。自分で言うのもだけど今聴いてもかなり良い出来で、この曲達は素晴らしいと本気で思うよ、自画自賛だ(笑)。
だけど、レコーディング・マジックに取り付かれたオレは新しいバンドの構想を練り脱退をメンバーに言ったんだ。だけど某有名ライブ・ハウス(なかなか夜の部に出してくれない店)の新人担当の人が、なぜかオレらのバンドを気に入ってくれてて出演が決まっていた某ホール(キャパ2000人ぐらい)でのイベントとよくやっていたライブハウス との2本まではオレがやることで納得。
そこからの“温度差”は凄かった。3対1で向こうは新しいベースを探しつつ“裏切り物”って感じでオレと一線引くし、オレは新しいメンバーを求めて色んな奴と逢っていた。
今考えると、あのまま続けていたら…もしや?なんてのも実は考えたりもするんだ。
しかし、かなり“ワガママ”だったと思うよ(苦笑)。
で、そんな頃仕事の方は全然ダメ(金銭的に)で親父はとある所からきた話に乗ろうとしていた。京都駅ビルのリニュアールってもの。破格のプライスで最後のまとめに行くような感じ。
「お前、どうする?」たしか そんな感じだった。
オレはまだやりかけの仕事があったから とりあえず「考える」と言った。向こうでは人出がたらず工期に間に合うかどうかの瀬戸際みたいだったからオレでも必要だったんだろう
いきなり出張?京都?マジかよ~。色々考えた挙げ句、行くことにした。
仕事を辞める選択もあったけど、新しいバンド活動も実は上手くいかずせっかく覚えた仕事を辞めるのもどうかと…。
当時の彼女と結婚も意識してたし、音楽も引退かと考えていたから“修業”と“話のネタ”ってことで京都行きを決めた。で、約7ケ月、長かった。
当初は新大阪に一週間ホテル暮し。
朝も早かったし、帰りも遅い。で、近くの小料理屋みたいな所で食事を兼ねて一杯の毎日。ひどく淋しくて泣きそうだった。同じ日本なのに言葉が全然違う。仕事場・通勤中 異国の人に見えたよ全員、オーバーか?(苦笑)。
たまに“標準語”が耳に入ると誰でも話かけたくなったよ、マジで。
それから1週間ぐらいしてから京都にアパートを借りての生活が始まった。
A君との最初の思い出は“若手”だけの飲み会でのこと。仕事上の話ししかしてなかったから色々と質問やらなんやらしてみたんだ。そのうち「東京の人間はあまり好きではない」なんて言うから言葉を失ったね。それが彼の第一印象だったんだけど“過酷”な仕事場ではそんなことを一々気にはしてられない。
毎日、朝早くから遅くまでどちらかと言うと誤ることが多かった。
完全に遅れていたのと業者のレベルの低さ。
終わりは全く見えなかったよ。そんな毎日で“若手”のオレ達は自然と仲良くなったと言うか、なるしかなかった。東京と大阪の違いやお互いの彼女のこと。たしか彼の彼女が“宗教”にハマって困ってるなんて話もあったな、たしか(笑)。
そんな彼が、ある休みの日に大阪を案内してくれたり淋しがってるオレのために彼女や彼女の友人達の飲み会なんてのも誘ってもらったりしたのも思い出した。たしか三次会ぐらいの店で“ウエスタン風”のバーでベロベロになったのを覚えてる(笑)。
挙げ句、帰京の前日に 開いてくれた送別会では京都で飲んでたはずなのに、朝目が覚めたら大阪の彼の実家だった(笑)。
喉が乾いて目が覚めたんだけど、まさに「ここは、何処?」って感じで、前の晩の途中から記憶がまるでない(苦笑)
「よほど帰れるのが嬉しかったんですね!(関西弁で)」なんて言われるほどオレは騒いでいたらしい。
彼に大阪駅まで車で送ってもらったんだけど、途中スピード違反で捕まり その時の警官とのやりとりが凄まじかった(言葉が)のを記憶してる。
そんな彼との再開は格別だったよ。細くて弱そうだった彼はたくましくなってたし、三年前に正社員になり今回、数年ごしのデカイ仕事終わらせ、表彰されるということで こっちに来てた。
なかなか逢えないし今度は又10年後かも知れないけど たぶん彼は元気にやってくだろう。
遠くに、かけがえのない奴がいるってのも悪くない。
今度はオレが出向こう!
当時を振り替えると夜のバイト生活は辞めていて、昼間の仕事 親父の仕事をやリ初めていた。
バンドの方はいくつ目か忘れたけど初めて同い年の奴らと、ほぼ同じ音楽の趣向だったんで勝負を賭けていたんだよねオレは。ヴォーカルが定まろず、スタートは少しばたついたけど動き初めて何年目かだった。
今でもはっきり覚えているんだけど、突然オレは辞めたくなったんだよ。
なぜか?
当時80年代末から始まった“ロック”の新しいスタイルにオレは完全にやられていたんだ。
ハウス・ミュージックの登場で“ハウス・ミュージック”や“ヒップ・ホップ”の手法を取り得た新しい「ロックン・ロール 」ってやつをやりたくてしかたがなかったんだよね(苦笑)。
挙げ句にこの日本でも、その後“ミクスチャー“なる色々な“音”を取り得たバンドがたくさん出始めたと同時に焦りを感じていた。
その手の“音”のファンでもあるから以前一緒にやってたバンドの奴と色んなバンドを見に行ってた。
“ロック”とは新しくなければと考えていたんで、たとえば今テレビにでてる“自称ロックン・ローラー”なんてのはダサくて滑稽。
あくまでも“カウンター・カルチャー”でなければと。
「いつまでも70年代のパンクを下敷きにしてるのはダサい!」なんて、オレはメンバーに呪文のように言いつづけ リハのたびに持ってくるオレの新曲は他とは全く合わないリズム重視の“その手”の物ばかり(苦笑)。
かなり無理があったね…
バンドは当時レコーディングしたばかりの2曲に自信があったから方向転換は難しかった。自分で言うのもだけど今聴いてもかなり良い出来で、この曲達は素晴らしいと本気で思うよ、自画自賛だ(笑)。
だけど、レコーディング・マジックに取り付かれたオレは新しいバンドの構想を練り脱退をメンバーに言ったんだ。だけど某有名ライブ・ハウス(なかなか夜の部に出してくれない店)の新人担当の人が、なぜかオレらのバンドを気に入ってくれてて出演が決まっていた某ホール(キャパ2000人ぐらい)でのイベントとよくやっていたライブハウス との2本まではオレがやることで納得。
そこからの“温度差”は凄かった。3対1で向こうは新しいベースを探しつつ“裏切り物”って感じでオレと一線引くし、オレは新しいメンバーを求めて色んな奴と逢っていた。
今考えると、あのまま続けていたら…もしや?なんてのも実は考えたりもするんだ。
しかし、かなり“ワガママ”だったと思うよ(苦笑)。
で、そんな頃仕事の方は全然ダメ(金銭的に)で親父はとある所からきた話に乗ろうとしていた。京都駅ビルのリニュアールってもの。破格のプライスで最後のまとめに行くような感じ。
「お前、どうする?」たしか そんな感じだった。
オレはまだやりかけの仕事があったから とりあえず「考える」と言った。向こうでは人出がたらず工期に間に合うかどうかの瀬戸際みたいだったからオレでも必要だったんだろう
いきなり出張?京都?マジかよ~。色々考えた挙げ句、行くことにした。
仕事を辞める選択もあったけど、新しいバンド活動も実は上手くいかずせっかく覚えた仕事を辞めるのもどうかと…。
当時の彼女と結婚も意識してたし、音楽も引退かと考えていたから“修業”と“話のネタ”ってことで京都行きを決めた。で、約7ケ月、長かった。
当初は新大阪に一週間ホテル暮し。
朝も早かったし、帰りも遅い。で、近くの小料理屋みたいな所で食事を兼ねて一杯の毎日。ひどく淋しくて泣きそうだった。同じ日本なのに言葉が全然違う。仕事場・通勤中 異国の人に見えたよ全員、オーバーか?(苦笑)。
たまに“標準語”が耳に入ると誰でも話かけたくなったよ、マジで。
それから1週間ぐらいしてから京都にアパートを借りての生活が始まった。
A君との最初の思い出は“若手”だけの飲み会でのこと。仕事上の話ししかしてなかったから色々と質問やらなんやらしてみたんだ。そのうち「東京の人間はあまり好きではない」なんて言うから言葉を失ったね。それが彼の第一印象だったんだけど“過酷”な仕事場ではそんなことを一々気にはしてられない。
毎日、朝早くから遅くまでどちらかと言うと誤ることが多かった。
完全に遅れていたのと業者のレベルの低さ。
終わりは全く見えなかったよ。そんな毎日で“若手”のオレ達は自然と仲良くなったと言うか、なるしかなかった。東京と大阪の違いやお互いの彼女のこと。たしか彼の彼女が“宗教”にハマって困ってるなんて話もあったな、たしか(笑)。
そんな彼が、ある休みの日に大阪を案内してくれたり淋しがってるオレのために彼女や彼女の友人達の飲み会なんてのも誘ってもらったりしたのも思い出した。たしか三次会ぐらいの店で“ウエスタン風”のバーでベロベロになったのを覚えてる(笑)。
挙げ句、帰京の前日に 開いてくれた送別会では京都で飲んでたはずなのに、朝目が覚めたら大阪の彼の実家だった(笑)。
喉が乾いて目が覚めたんだけど、まさに「ここは、何処?」って感じで、前の晩の途中から記憶がまるでない(苦笑)
「よほど帰れるのが嬉しかったんですね!(関西弁で)」なんて言われるほどオレは騒いでいたらしい。
彼に大阪駅まで車で送ってもらったんだけど、途中スピード違反で捕まり その時の警官とのやりとりが凄まじかった(言葉が)のを記憶してる。
そんな彼との再開は格別だったよ。細くて弱そうだった彼はたくましくなってたし、三年前に正社員になり今回、数年ごしのデカイ仕事終わらせ、表彰されるということで こっちに来てた。
なかなか逢えないし今度は又10年後かも知れないけど たぶん彼は元気にやってくだろう。
遠くに、かけがえのない奴がいるってのも悪くない。
今度はオレが出向こう!