「利を見て義を聞かざる世の中に、利を捨て義を取る人」
妙心寺 南化玄興
’09年、NHK大河ドラマの主人公直江兼続公について、京都妙心寺の名僧・南化玄興はこう讃えています。
あの豊臣秀吉は兼続を「天下執柄の器量人なり」すなわち天下の政を任せられるほど卓越した政治手腕の持主だと評したそうです。
それほどの実力を持ちながら「利」よりも「義」重んじる生き方を生涯貫き通した直江兼続と、彼に義の心を徹底的に教え込んだ「越後の龍」と呼ばれた名将・上杉謙信に今、大注目しております
私の故郷・南魚沼で生まれた直江兼続が大河ドラマの主人公ということで、初めて大河ドラマというものを第1話から観始めたら・・・まだ第2話までしか放送されていないけれど、物凄く面白い
「己の欲望(利)の為ではなく、世の中の筋目(義)を守るために戦え」
という「国を治める者の正しさ」を唱える謙信と、謙信亡き後もその志を貫いて生きた兼続の正義感には、今の時代の人間にとってもとても眩しいものがあります
兼続の「義」の志を最も象徴している有名なエピソードがあります。
当時上杉家は新たな領地となった会津で道路や橋の整備を行っていました。
その上杉家の行いを隣国へ攻め入るための準備だと決め付け、「謀反を企て豊臣の世を乱そうとしたことに対して謝罪せよ」と申し立てるあからさまな家康の謀略にも屈せず兼続は、後に『直江状』と呼ばれる書状を突きつけたのです。
その内容たるや自分よりも遥かに格上の大大名徳川家康に対して筋目を通した堂々たるものでした。
直江状より
「道を作り橋をかけて通行の整備をすることは
国を預かる者として当然のことです。
反逆の意図もないのに謝罪などのべば、上杉家代々の律義さと武勇の誉れを失ってしまいます。
家康様は自らに都合の良い声ばかりを聞いているのではないでしょうか。
違う意見も公平にお聞きにならないのは侍の筋目に反しております。
それは家康様に裏表があるからではないでしょうか。
それでもこちらに非があるとおっしゃるのならばやむをえません。
いつでも相手になりましょう。」
という挑戦状とも言える書状を叩きつけたのだそうです。
カッコイイ。
たとえ立場が上だとしても、間違ったことをしている人にははっきりと自分の意見を述べる
自分も今までそうやって生きてきたつもりです。
しかしそのような生き方が絶対に正しいとは言いません。
そうした行いの為に波紋を呼び、周囲の人たちを巻き込んで迷惑を掛けてしまうこともあるからです。
兼続もまた然り。
直江状によって家康は激怒し、それがきっかけで上杉軍討伐を掲げ、やがては関ヶ原の合戦へと駒は進んで行きます。
皆さんご存じのとおりこの戦いで徳川軍は石田三成軍に大勝利し、攻め込まれる前に兼続は主君・上杉景勝と共に家康に降伏し謝罪しました。
それも無駄な戦で民衆を犠牲にしない為の苦渋の選択であったのでしょう。
豊臣政権の要であった上杉家の降伏により、家康は本州の大名を全て屈伏させ、やがて江戸に新しい幕府を開きます。
徳川家が天下を取ったのです。
それでも私は義を取る生き方を支持します。
大幅に領土を減らされ米沢に追いやられた上杉家は、財政難に陥り厳しい暮らしを強いられました。
にもかかわらず兼続は「人民こそ宝だ」として
家臣を一人も解雇しなかったそうです。
自ら質素な暮らしをしながら家臣とその家族
3万人を全て養ったのだというから大したものです。
直江兼続の兜に掲げられた「愛」の文字は
「愛民」の意であると言われるのはこのような行いのためです。
いつの時代にも変わってはならないもの、「義」すなわち正義を貫くという生き方をした人、それが上杉謙信であり、直江兼続であったのです。
戦国時代ではなくても、現代もなかなかに生きにくい世の中ではありますが、そのような生き方をした人がいたのだということを忘れずに、いつまでも讃えていきたいと思います。
終わり。
(加筆修正 14th Sep 2020)
