比良歩(ひらふ)は夢を見た。
中学時代の恩師、池田先生と教室で談笑している。
実際、比良歩は池田先生とそんな風に朗らかに話をしたことは一度もない。
中学時代の比良歩は教師たちと滅多に打ち解けることはなく、そもそも家族以外で気を張らずに接することができる大人はいなかった。
そんな彼にとって、池田先生は尊敬できる数少い大人であり、だからこそ、比良歩は他の生徒たちのように池田先生に気軽に接するようなことはできなかった。
池田先生は吹奏楽部の名顧問として、全国で5本の指に入るほどの優秀な指導者だった。
そのために、91年から3年間という期限付きで
比良歩の母校となる直江中学校へ赴任してきたのだった。
当時の直中吹奏楽部は地区大会ですら最低評価の銅賞しか取れず、吹奏楽部の長い歴史の中でも県大会へ進んだことはなかった。
それが、池田先生が顧問になった91年から
3年連続で県大会進出を果たし、県大会でも銀賞を収める健闘振りを見せる。
比良歩は池田先生が指揮を執る最後の年の春に入学し、先生の偉大さを知らぬままに吹奏楽部に入部した。
新入部員はまず、パートを決めるためのテストを受ける。
池田先生が一年生全員に全ての楽器のマウスピースを吹かせて審査する。
そうして生徒たちの適性を見極め、本人の希望も織り交ぜながら抜擢していく。
比良歩はいまだにこの時の池田先生の先見の明に脱帽の思いでいる。
池田先生から任命されたパートで、自分は勿論、同級生たちみんなが結果的に才能を100%発揮したように思えたからだ。
池田先生は比良歩をトランペットに任命した。
適当に第3希望にしておいたパートだった。
比良歩は勉強も運動も嫌いで、13年間生きてきて自分に誇りを持てるような事柄はほとんどなかった。
トランペットを手にするまでは。
トランペットは吹奏楽で使う楽器の中では難しい部類に入る楽器だろう。
それでも比良歩には特別苦労した記憶はなかった。
退屈な基礎練習もトランペットを吹く楽しさで苦にならず、上達は早かった。
一年生にとっては当然初出場となる地区大会で、前々年と前年に引き続き金賞を収め、県大会が終わって3年生が引退すると、比良歩は2年生を差し置いてファーストに修まった。
ところが年が明けて春、最強の指導者が約束通り直中吹奏楽部を去ると、それまでの部員の士気は一気に下がり、さらに翌年の比良歩が3年のときには、とうとう連続県大会出場記録がストップしてしまった。
それから、比良歩にとってのトランペットに匹敵する出会いはなかった。
それでも社会に出て色々な経験をしていくうちに、会社でそれなりの立場を得るようになっていった。
が、いい時は永遠には続かない。
それでも何度も浮き沈みを経験し、落ち込んではまた立ち直りを繰り返して、安定した収入と社会的地位とを獲得していったのだった。
トランペッターだった自分のことなど、もう思い出すこともなくなっていた。
そんな比良歩でもどうにも立ち直れない状況に自分自身を追い込んでしまうことがある。
優秀な後輩たちの追撃や社会情勢、人間関係の問題など、いつもならば跳ね返してしまえるはずだった。
しかしいつになく長い時間ストレスから逃れられなかったためか、とうとう体調を壊してしまった。
同僚や後輩に追い越されはしないか、上司の信頼を失いはしないか焦る反面、もう今の生活から解放されたい、家に閉じこもってどこへも行きたくないという気持ちもある。
どうして自分がこんな風になってしまったのだろう・・・
立ち直る糸口が見つからないまま、体調も万全にならないまま、比良歩は一年で最も忙しい師走の職場に復帰した。
仕事をこなすうちに自然と覇気が戻り、最悪な成績を残すことになると思われた12月だったが、チームとして売上1位タイの結果に大いに貢献することができた。
終わりよければすべてよし、という言葉が頭をよぎった。
あんなに落ち込んでいたのにここまでやれたことは、今まで以上に比良歩にとって自信に繋がった。
この一ヶ月でいいお客さんにも何人か巡り合えたし、来年も何とかやれそうな気がするな。
そう思いながら、この年最後の仕事を終え、眠りに着いた。
その夜、夢の中に池田先生が現れたのだ。
15年前の池田先生そのままだった。
現実には池田先生は51歳になっているはずだ。
目覚めてから比良歩は何度も51歳の池田先生と、その先生と打ち解けて話す自分自身の姿とを想像してみた。
彼には全く思い浮かばなかった。
実は今までも何度か池田先生のことを思い出すことがあった。
自分をトランペットに抜擢してくれた先生にお礼を言いたかった。
けれど指導を受けていた当時から特別先生になついていたわけでもなく、初めてお礼を言いたいと思ったときにはもう先生の所在を知る術は何もなかったのだ。
今でもどこかの中学校で吹奏楽を教えているのだろうか・・・
母校に問い合わせて転勤先を辿って行けば、今の池田先生がどこでどうしているかわかるかもしれない。
けれど、そうすることはないのだろう。
寝起きの頭で比良歩は気付いた。
今、この瞬間が、あの日トランペットを手にしたあの日なのだ。
将来の目標も、打ち込めるものも、得意だと言えることも何もなかった自分に、認めてもらえることの喜びを初めて教えてくれたトランペット。
そして県大会に出場するまでの力を与えてくれた池田先生。
もう自分はだめだ、自分の時代は終わった、と
いつになく長い低迷期をさ迷っていた自分に、また自信を持たせてくれたこの数日間。
心身ともに疲れ果て、気持ちも成績も落ち込んだお陰で、調子が戻ってきたときには周囲の人たちにまた感謝できるようになっていた。
きっと人生にはこういうことが繰り返し起こるのだろう。
生きていくうちに自信を持てる事柄にいくつか出会っていくが、最初の出会いが次の出会いを引き寄せるための自分を作り上げてくれるのかもしれない。
池田先生に、お礼が言いたい。
今の自分を形成するために必要だった何かを、間違いなく与えてくれた人だと思う。
先生は自分のことなど覚えてはいないだろうし、日本のどこかで昔の教え子が自分の所在を知りたがっているなどとは、全く思いもよらないことであろう。
それでも、またいつか池田先生と朗らかに話せる日が来るのだろうか。
残念ながらやはり比良歩には全く想像ができなかった。
けれども彼は気づいていた。
またひとつ自分の心の中に大切な夢が芽生えたことを。
12月29日の朝、彼は自分がいま何をすべきかを確かに感じ取っていた。
終わり。
(加筆修正 15th Sep 2020)
