金スマのヤスくん、見ました。
まったく知らなかったことは出てこなかったのでほっとしましたが、それまでぼんやりと説明してきたことが、より鮮明に説明されてました。
髄膜種のこと、手術のこと、術後てんかんのこと、後遺症のこと、メンバーのこと、ヤスくんのこと。
今までよりもくっきりと、ヤスくんの言葉で話してた。それは、ヤスくん本人もそこまで語れるようになれたってことなんよね。
ヤスくんが腫瘍のことを知った時も大して驚かなかったのは、腫瘍が出来た場所のせいだと言うのは初めて聞きました。ヤスくんがほわほわした性格だからではなく、腫瘍のせいで感情が鈍くなっていたと。
あ、光過敏のサングラスの色が人によって効果が違うことも初めて知ったかな。人によってはブラウンがよかったり、グリーンがよかったり。
ヤスくんの場合はブルーがよかったと。
青いサングラスが彼を守ってる。
術後てんかんのひきつけの再現シーンがしんどかった…実際、発作ってあんな感じなんよね…。
助けてくれた友人…勝矢さんには感謝しかない…。
中居さんとの絡みも新鮮でした。
以前「うたばん」で「コッチ系の安田くん」なんて茶化してゆわれてたのが懐かしい。
そして、やっぱり、てんかんの発作もやけど、骨折の後遺症もある。いつも持ち歩いているクッションも彼を守ってる。
怖いよね…背骨腰骨骨折が原因で当時足の感覚なくて動かなかったら…このまま動けないんじゃないかって思うやろうし。
何より、痛みがメンタルを削るしね…。痛かったやろうなあ…。
去年私も骨折はしてないけど、階段から落ちて腰やらかしたから…このまま動けないんじゃないかって思ったからね。早く痛いの治ってくれと。痛いのはつらい…ほんまにつらい。我慢するクセがついてしまっても、つらい。
そして一度壊れた箇所は、回復して治るけど、元のようには戻らないからね。
当時私は心配しすぎて、ヤスくんが車椅子に乗ってる夢を見たぐらいやった。
それでも彼は、車椅子にも乗らず、松葉杖もつかず、立って登場した。
あの状態でGR8EST決行したのは、私の中では今でももやっとしてますが、でも結果、よかったのかなと最近は思うようになってきました。
ヤスくんが言うように…生存確認のライブ。椅子に座っててくれてもいいって当時は思ってたけど、のちに座る方がしんどいことを知りました。
9月に台湾ツアー、11月に振替公演の頃にはだいぶ動けるようになっていたヤスくん…。
ヤスくん、ほんまに生きててくれてありがとう。
光の当たるところにいてくれてありがとう。
あなたの存在は、力になります。
今になっても、このつらかった…つらい経験を笑顔でふわふわと話してくれるあなたの強さ。
きっと、思い出したくない気持ちや感情もあるにきまってるのに、ちゃんと話してくれる。
グループのイメージもあるからと、柔らかく話してくれるヤスくん。
プレミアムフライデーの記者会見…あの頃、こんな壮絶なことが起きてたのか。
ふらふらするヤスくんを見えないように支えてた錦戸くん。この会見で、ヤスくんを久しぶりに見たような記憶がある。レギュラー番組よく休んでたから。
この頃は、エイトくんたち、無双やったよね。
たちょ、ヨコ、ヤスがこのあと主演舞台、そこからメトロックがあって、夏のツアーが始まった。怒涛のスケジュール。
休めないよね…立場的に…つらいなあ。
夏のツアーが始まった頃、ものすごい速度で、ヤスくんの沼に沈んでいったんですよね…。
何がそんなにきっかけになったのかは、わからないけど、ヤスくんのスタンスが変わったのをどこかで感じたのかな。ものすごい気になる存在でした。
脱退することを考えたのも一度や二度じゃないと。
以前も「脱退することを決意した」なんて言い回ししてて。それでも続ける選択をしてくれたことに感謝しかない…。
それは命懸けの選択。
そして、自身の体のこともあるけど、「メンバーにサングラスの人間がいると、グループのイメージが悪くなる」からと言う理由も挙げていた。
その理由からCMが来なくなったり、明るいパブリックイメージが変わってしまったり…なんて。
それすらも飲み込んで、去年の事務所のゴタゴタも含めて、長年起用していただいてる森永製菓さん…ありがたいです。
中居さんが「一人で背負ってはいけない」って言ってくれてた。
そして、サングラスも「すごく似合っちゃってるから」って。
久しぶりに感じた、中居さんのさりげない優しさ…。
しんどい時は、人を頼る。
ヤスくんは周りにもっと頼りまくってください。
そして、たっちょんがヤスくんに送った言葉
「ただただ生きてくれ。」
たっちょんが言うから、ヤスくんに響いたのよね。
ヤスくんメンバーに甘えまくってください。メンバーはきっと全力でヤスくんを守るだろうから。
笑っていこう。