今回は、ヤスくんが清水先生からインタビューされる番。

清水先生、コニファー参戦されてたんや!

じゃあ、かなり前から対談決まっていたんですね。


病とアイドルの本音。


銀杏が黄色く色づいてるってことは…11月12月くらいかな。お髭が生えてるってことは…12月初旬くらい?

花園神社、赤いコート…紅テント。

アングラ舞台がやっぱり心の中で大きくなってるんやなあ。


放送日が2月2日と2月9日。

EP2をこの日に当てたのが、やっぱり病気のことがあったからなのかな。


お酒とやっぱりジビエを食べている話。

「カロリー」ではなく、「エナジー」をとる。

野生動物の持っている「エネルギー」「血の濃さ」をとると。それは、わかる。

私も猪のお肉よくいただいたりして食べたことあるんですけど、「精がつく」んですよね。

なんていうか…鼻血が出そうな感じになるっていうか。身体の毛穴が全部開くような感じ…。


髄膜種は握り拳くらいの大きさまで大きくなってたから、両手年数くらい、頭にあったんだろうって。


「痛みに鈍感」だったヤスくんが、脳ドック行こうと思うくらいやから、相当辛かったんやろうな…。ヘルニアの手術も受けたって言うのも後から知った…。けど、この頃、レギュラー番組のお休みが続いていたり、メンバーの気の使い方でとにかくヤスくんの体に何か起こっていることはなんとなく感じてた。

プレミアムフライデー、あったなあ。あの記者会見が、退院10日後くらいやったんよね…。


「プレミアムフライデー」、「メトロック」、「俺節」、「JAMコン」と。

かなりのハードスケジュールでこの年は走りすぎて行った。


そのしわ寄せが、起こってしまった。


翌年の4月…すばるの脱退会見の一週間前くらいに、自宅で転倒し、怪我したと。そのせいで会見には出れなかったことも、本人は辛かったよね…。


安「僕実は…お風呂の浴槽で。つかってたんですけど、そのまま術後てんかん起きたんです。」

ヤスくんがゆっくり話す…初めて聞く、あの時のこと。

安「もうその時は記憶ないんですけど。浴槽でうわあーってのけぞって、のけぞりすぎて骨が折れて浴槽に顔がにつかっちゃったんです。僕そのまま気絶してて、。」


なんとなく、お風呂場かなとは思ってた…自宅で転倒して胸椎腰椎骨折するなんて、階段から落ちるか、お風呂場くらいやろうと思ってて。

マンションやったら、家中に階段はないやろうからお風呂場、、、かな。なんて思ってた。

それならば、大好きだった海に近づかなくなったことも納得いく…水のあるところから離れるよね。


そして、転倒ではなくのけぞってそのまま反り返って骨折するてんかん発作…1人だったらそのまま溺死してたって聞いて、ゾッとした。

自分の想像より壮絶でビビった…。


安「そこを、すくいあげてくれて。たまたま。」


たまたま、友達に助けられた、と。


ボクらの時代で言ってた、勝矢くんと佐助くんよね…。勝矢くんが、泣きそうになりながら抱えて病院連れて行ったって。


このたまたまがなかったら、

安「100パー、死んでたんや、俺。」

でも、死んでたはずの人間が今、生きているって考えたら、考え方変わるよね…。


髄膜種の手術したことが原因やけど、てんかん起こしてお風呂場で死にかけた時が人生の分岐点になったと。


まだまだ知らなかったこと、ゆっくり赤裸々に話してくれた。こんなに詳しく話してくれたのって、初めてじゃないかな。

当時、詳細を話さなかったのは、はっきり言い過ぎるとびっくりさせてしまうから、違う形に説明をしたんだと思うんですけど、とヤスくん言っていた。当時は「立ちくらみで転倒、捻挫」って報道されてたんですよ。

けど、捻挫にしては長すぎるお休み…おかしい、私は捻挫なわけないやん…何か大変な大怪我だったんじゃ…と3ヶ月間心配してたところに、あのFCメールが届いた。「髄膜種」と「骨折」を同時に知ってしまった。

FC動画を見て、震えが止まらなかったことを思い出しました…。その動画の時も、びっくりさせないように、「立ちくらみで背中を強く打ち付けて骨折した」と言っていた…。


きっと、ずっと蓋をしてきた事実を言葉に乗せるのはつらいやろうけど、本当のことを話してくれてありがとう。


清水先生がお医者さんやからか、それともヤスくん本人、話す覚悟で来てたのか…。

素直に身体の状態を話してくれた。

ヤスくんの口から「術後てんかん」と言う言葉が出たのは初めて…私の想像内…いや想像以上やったけど、やっぱりそうやったんや…。てんかん発作も今までは「立ちくらみ」と言う言い方やったもんね…。

その後遺症は今もまだ続いてるんよね…。

そりゃ「朝起きた時に息してる」ことが奇跡やと思うし、遺書ももう書いてあるってなるやろうし。


点と点が繋がって、線になって、今まで自分の中で想像してた最悪の妄想すら超える事故が、実際彼に起こっていた…。

そんな状態でGR8ESTを決行したんよね…。

本人は中止にしようって言ったけど、決行決めたからやる!ってなってたけど。ほんまは、私は、あのツアーはなしにしてほしかった…。けど、会いたいって言う気持ちもあって、めちゃくちゃジレンマでした。

結局、私は台風で飛んだ日に入っていたから、彼らに会ったのは振替公演の11月でした。だから、ヤスくんの身体も、夏よりはマシにはなってた…。MCも参加してくれてた。空き時間にピアスをいっぱい開けてきた報告を受けた時やったなあ。

けど、グループの雰囲気は夏の頃と少し変わってたけど、その違和感はなんなのか分からなかった…。それは、後日のインタビューで分かったことだった。グループのバランスが崩れて「歪み」と言う言葉で表現していた。


寝ていて足が上がらない状態が半年続いて、リハビリがんばって、GR8ESTツアー決行して、11月には動けるようになってた…年明けて1月には舞台にたって、夏の十五祭ツアーでは踊れるようになってた…ほんまにリハビリ頑張ったんやなあ…と。



安田章大のアイドルの軌跡…。

去年の12月やと、事務所のイザコザがかなりヒートアップしてた頃よね…。


生まれた時も、「お兄ちゃんの生まれ変わり」、そのお話もよく聞いたことあるな。


二次元の、アニメのようなアイドルを演じていたとヤスくん言ってた。

ああ、そこまで話してしまうの?


結局、ギャルのようなビジュでも、モヒカンでも、ロングヘアでも。彼から滲み出てくる「キュートさ」は隠しきれないんだなあ。


デビューしてもなかなか売れなくて、バラエティ番組でもすべって落ち込む…。スパイダーマンのカッコしてスタントしたり、中華鍋でウエイクボード…裏ジャニやな…。

自分はこの世界向いてないんじゃないかっていう思いもあったと。


私の中で病気するまでは、ヤスくんは、つかめなくて不思議な感じの人の印象強かった。

病気だったことそのときは知らなかったけど、そう、この頃から私ヤスくんが気になり出したんよね…。

エイタメコン終わってから。ヤスくんが自我を解放し始めた頃かな。演じるのをやめたヤスくんの姿が私の心に刺さった。

だから「俺節」も当日券取ったし(入れなかったけど)、その後もどうしてもヤスくんの舞台見たくて、エントリーしたんよね。


20代のヤスくんは私が少し彼を怖い人と認識してた頃。

多重人格?と思っていたのは、彼本人の性格と、演じていたアイドル像が真逆やったからかあ。

テレビの演出した感じに葛藤があって、楽屋から出て非常階段で過ごしてたことも聞いたことある。無理してたことすらも、当時は隠してたんやね。それを救ってくれたのが、「ダイビング」やったんよね…。そのダイビングも今はもうできない…。でも、アナザースカイで、少しでも海に帰れてほんまによかった…。


事務所の話も。今渦中にいるヤスくん。


安「多方面から見た「正解」はいっぱいあるけど、お世話になったのも事実だから、答えはまとまらない。

今まで大事だったことが崩れ去るのはつらくてしんどいけど、チェンジするタイミングは好機であり、チャンスだと思うんです。」

でも、たくさん、泣いたんよね…。


色付き眼鏡も、日本でも当たり前になってほしいからと、眼鏡のプロデュースもしてくれた。

けど、本人がまだ、その色付き眼鏡をかけて生活していくって言うことに納得いってないって話してくれた。まだ、ストレスになっていると。

だけど、ありのままを見せることが、勇気や希望になっていくと思っていると。


その眼鏡がヤスくんを守っている。


眼鏡外しているときは命懸けって言っていた。

眼鏡外しての仕事は薬を倍量飲んでる、とも言ってたけど、多すぎる光はまた、発作を誘発してしまうからね…。



そんなしんどい思いをしながら、何度もやめようと決意した芸能の仕事を続けているのは、一人でも応援してくれる人がいるから、おばあちゃんが喜んでくれたから、そして、同じ病気や後遺症を持つ方の希望になるなら、と。

その思いは常々聞いていたし、感じてます。

今もなお、その思いにブレはなく、ずっと走り続けてくれていることに感謝です。


そして、第3のアイドル人生は。

「精神が富んだアイドル」「人生経験が豊富なアイドル」になっていくんだろうなあって言っていた。


数年先のビジョンは、やっぱり唐十郎さんのアングラ舞台。テントの舞台に立ちたい、という夢があると。

夢は叶えるためにあるんだよ、ヤスくん!

叶えてほしい…。


でも、チケット争奪戦になるやろなあ。


メッセンジャーにもなりたいって言っていたその表情はイキイキしてました。



そして、この番組で。

清水先生だからこそ、ヤスくんが言葉を選びながらも、本当のことを打ち明けてくれたんだと思います。

もし、こうゆうきっかけがなかったら、前を向いてる彼は過去のことは話さなかっただろうし、先生じゃなければ、また柔らかい言葉で包んで話してただろうし。

本当のことを話しすることで、ヤスくんの中で心の整理がついてまた、前を向いて生きて行けるんやろうし。


ヤスくんのことやから、この清水先生との出会いも番組だけでなく、プライベートでも繋がっていくんやろうなあ。





生きててくれてありがとう。

光の当たる場所にいてくれてありがとう。


私、まだまだヤスくんを追いかけていたいです。




だから、さ。

お酒飲んでもいいけど、身体壊さない程度に、ね。