5年がたちました。
2017年2月9日。
その日を当時は知らずに過ごしてた。
うちの地域でも珍しく雪が積もった日だったので、事実は知らなかったけど、よく覚えてる日でした。
一年後、立ちくらみからの転倒で背骨と腰骨の骨折をしなければ、髄膜種のことも言わなかったかもしれないという可能性もあった。
当時は骨折すらも伏せてて、「捻挫」と報道されてた。
でも、その年の7月2日に、報告してくれた。
髄膜種のこと、骨折のこと。
メールがきて、「安田章大からのお知らせ」と言うタイトルで。
その1週間前に、テレ東音楽祭で、踊ることができなかった姿を見てたから。
捻挫と言われていた骨折のこと、持病のヘルニアのこと、言うんかなと思ってたら。
「髄膜種」と言う言葉が出てきて、思考回路が一瞬止まってしまった。
それでも、詳しいことは語らなかった。
「病気と怪我」という事実だけが報告されて。
GR8ESTツアーもやると言うことが報告されて。
心配するのが得意なエイターは、やっぱり心配したけど、ヤスくんが関ジャニ∞で頑張ることを笑顔で伝えてくれたから、信じることができた。
その後、少しずつ教えてくれて。
新聞、YouTube、配信、、、。
そして、写真集。その告知番組などで。
病気の後遺症がどれくらいのものなのか。
骨折の後遺症も。だって背骨骨折してるんやもんね…。
知れば知るほど、GR8ESTの時はほんまにがんばって無理してくれてたことが怖いくらいわかってきて。ライブ中に発作おきたら、とか。
「強い光は白くなって気が遠くなる感じ」って言ってたからね…。
きっとほんまにすごい「覚悟」したんやろうな。
「死を覚悟した」のは、手術前ではなく、術後だったこととか。
後遺症の関係で、もう海に潜れないこと。
…去年はやっと、弱音吐いてくれて。
「オレがいっちゃん辛い」って。
でも、前を向いて生きることも伝えてくれて。
その姿はちゃんと誰かのPowerになってます。私はいっぱいPowerもらってます。
声も届けてくれた。「元気やで!」って。その声聞くだけでPowerもらえるんよ。
車の運転できないことは、ぼちドラで話してた…。たっちょんが「車恐怖症」って言ってたけど。
てんかん発作持ってる知り合いがいるからなんとなくそうだろうなと思ってた…。
十五祭でダンス踊ってて、すごい!ここまで回復したんや!と言う気持ちと同時にやっぱり心配もついてまわったけど。
ここでもたっちょんがヤスくんに挨拶するようにしてくれた。
「まだ治りたてだけど動けるようになったよ!」って叫んでくれたヤスくんの生声をあの日、聞いて。
ほんまにうれしかった。
本当にやりたいこと、できること、できないこと。
折り合いつけながら、がんばってきたこと。
色付き眼鏡も。「怖い」という印象受ける人たちもいるのは仕方ないけど、少しでも、その眼鏡が後遺症を持つ方たちを守るアイテムであることがたくさんの人に理解されるようになったらいいな。
そのためにヤスくんいっぱい発信してるもんね。
最近はヨコさんやたっちょんも色付き眼鏡してるし。
すばるの会見の時は丸ちゃんが眼鏡してくれてて。
ここに来れないヤスくんのためやったことも。
こうやって、周りのメンバーがフォローしてくれるの、いいなあ。
5年。
私は医療関係者じゃないから確実にはわからないですけど。
親戚が癌を患った時、「5年再発がなければいい」みたいな話を聞いてたから、5年は区切りの年数というのが私の中にあって。
癌と髄膜種は、またちょっと違うのかも知れないけど。
それでも、後遺症と戦いながらも、私たちに会いにきてくれる。
アイドルでいてくれることを選んでくれた。
これからも、応援させていただきます。
が、同時に心配もきっとするので。
メガネ外したら、やっぱりハラハラしますし。
照明派手な演出とかも、心配です。
でもまあ、心配はヤスくんだけでなく、みんなにしてますが。
ヒナちゃんのハードすぎるスケジュールとか、丸ちゃんの精神状態とか、たっちょんの足、胃腸(腸閉塞はクセになるからね)とか、ヨコさんもこれから朝ドラ忙しいやろうし。
だから、これからも健やかに。
エイトとエイターが一緒にいる時間を大切にしていきたいと思ってます。
生きててくれてありがとう。