飾り櫛❄️笄(こうがい)

87年前に 母方の祖母が 祖父から、結納の品を貰った物の一つに 
この飾り櫛と笄があったようです。

飾り櫛は、髪を結ってから、髪の乱れを整えたり、髪に挿して飾りに用いたため「飾り櫛」と呼ばれている。 アクセサリー的な要素が強く、梳き櫛に次いで目が細かく、歯数は一寸あたり15~25本程度。

笄(こうがい)は、髪を掻き揚げて髷を形作る装飾的な結髪用具。ただし次第に結髪後に髪を飾るものに変化した。
中国由来のもので現代中国語ではジー(jī)と読む。笄は頭がかゆい時に髪型を崩さずに髪を掻く道具「髪掻 (かみかき)」からきているという説がある。
「三所物(みところもの)」と呼ばれる日本刀の大小の刀装具のひとつで、刀と一緒に持ち歩くことも多かったと教えてもらいました。

曽祖父が日本橋で 台湾🇹🇼から砂糖を輸入し、砂糖問屋で 儲けていて その資金で 祖父と弟で色々と会社をつくり 従業員1500人以上いたと言っていました。
しかし、戦争が始まり 国(兵隊)に取られてしまいます。
祖父も戦争に行き、弟(大叔父)も戦争に行きました。
弟は敗戦後 日本にすぐ戻り、会社を立て直そうとしていましたが 敗戦後の勝者の占領軍に7年間支配されました。公職パージ(職業軍人、政治家、経済人、言論人、地方の実力者)約21万人が追放され社会的制裁を受けたようですが、その中に 大叔父も入っていました。結局、病気になり亡くなってしまいます。
祖父は終戦後1年半してから ようやく日本に帰ります。

戦前は祖母は、専属の女中がいて、母も叔母も他の兄妹も『ねえや』女中がそれぞれについているような生活をしていました。
戦争が終わると 食べるのにも困り 今までの贅沢品を売りながら 生活をする事に。

その後は 祖父と祖母はオーダーのスーツの仕立てやをして儲けたようですが とても大変だったと言う話を聞きました。
戦後 贅沢品を売って食べていたと言っていましたが 結納の品物の飾り櫛と笄は大切に保管してあったみたいです。
また、次回にご紹介する品物も結納品で この二つはお金に変えなかった祖母の想いを感じます。

今日 実家に行き 蔵の中にある物を出してもらったのですが、Instagramをしなかったら こんな風に ご先祖様の事や戦争を体験してきた母の話を 興味深く聞く事がなかったと思います。
たった一枚の写真を撮るだけなんですが、その歴史や人の生き様や想いに触れる事ができて なんだか不思議と映像で祖父や祖母の事が浮かんできました。
朝の7時から写真を撮りに実家に行っていたので 感謝の思いを伝えたくなり お墓参りにいきました。笑😆




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