なんか私は、こっちで罪を犯した回数ぶん
あっちで救済活動をしているようだ。
例えばこっちで2回、嘘を2ついたら
あっちで2人、溺れている人を助ける。
という感じ。
しかもその嘘も、とるにたらない嘘で
別に罪の意識も生まれる必要のないような
些細なもの。
だけど、自分の中でだけで後悔しているような感じ。
死んだのち
閻魔様の前で裁かれる時に見せられる罪とはやはり閻魔大王様が全部その人の行いを生まれた時からカウントしていて、鏡の前に立たされて裁くわけじゃなくて
出てきた罪の数々は、他の誰でもなく、自分自身が自分の魂に刻んでった罪の意識そのもの。
そしてその罪を償う刑罰を受ける場も
みずらが選択して選んで、自分で自分自身に課すんだよ。
だから、他人からしたら
この程度の罪にこの刑は重すぎるんではないかと思うケースは当然ある。
その人がその罪に対して選んだ罰の基準を
閻魔王様ならび神様仏様は見て
その魂の貴位を確認するんだと思います。
罪の世界にいる魂と
本来の魂の位がちがうのは、その理由。
つまり
今、この世界で、取るに足らない小さな事柄に罪を感じちゃう人が
あちらの世界で忙しく働いているような人って事で
小さな事に気が付いて
それに自分の行いを客観的に照らし合わせて
実際にやった行動以上の術を考える事ができる人が相応しい。
くよくよと過去の失敗にに囚われている人はそんな自分が嫌で仕方ないのかもしれないけど
そういう人ほど、本当は誰よりも強く、自分に向き合う事ができる厳しい人。
神様と一緒に宇宙全域で忙しく動き回っている魂のほとんどがそんな性質を持ち合わせているの。
本当に強い魂かどうかは本人が評価できるものではなく、本人以外のものが見てわかるものです。


