先日、平和記念公園からの帰り道
で
ディーン
の足がふと向かったところがありました

「馬碑」と彫られた石碑です
輜重兵第五聯隊(しちょうへいだいごれんたい)隊跡 馬碑
と、台石には彫られています
輜重兵とは軍需物資、食料などの輸送にあたる兵士です

馬碑の解説版によると
馬碑はこの兵営のある西南太田川沿いに
昭和3年秋11月に建立されています

自動車が発達していない昔、
ものの運搬は主として馬に頼っていたので、
軍馬は日本各地より強制買い上げされて、
隊で調教され、兵器、弾薬、食料の輸送の任務に就きました。
「活兵器」として馬は大事にされましたが、
兵士の肩章の星の数が分かるのか
扱い方によっては動かなくなり、
人をよく見て動く賢い動物だったようです。
戦場に於いて100キロ余りの荷を背負わされる馬にとって
蹄鉄は「馬の命」で、行動中落鉄した時は
兵の沓下を重ねて蹄を保護し、
次の休止時に予備鉄を装着しました。
戦場では晴雨昼夜の別なく行軍のため、
鞍傷した馬背を兵士は寝ずに水で冷やし、
看病し続けたと言います。
兵士にとって馬は正に戦友であったのです。
度重なる作戦参加と米軍機の銃撃により半数は戦死、
終戦時は武装解除と共に、中国側に引き渡し、
悲しくも馬は復員できませんでした。
その戦友である馬への供養碑です。
(解説版参考)
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「馬碑」が建立されたのが昭和3年であることから、
この碑は上空300mで炸裂した原爆の熱風を受けながら
周囲が壊滅状態の中で、唯一残ったことが分かります。
原爆投下直後のこの辺りの惨状が分かるブログを紹介します。

この方のブログで
「馬碑」のすぐ近くにある
広島市営ファミリープールの場所は
馬たちの水飲み場であったことが分かりました
広島市中央公園はサッカースタジアムに
生まれ変わるにあたり、
地質調査が行われ、この辺りの戦前、戦後の様子が
再び、浮かび上がって来たそうです
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献身的に寄与した馬
に対する
兵士の思いと重なる詩が浮かびます。
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宮沢賢治
春と修羅第二集
『馬』
いちにちいっぱいよもぎになかに
はたらいて
馬鈴薯のようにくさりかけた馬は
あかるくそそぐ夕陽の汁を
食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら
はたけのへりの熊笹を
ぼろぼりぼりぼり食っていた
それから青い晩が来て
ようやく厩に帰った馬は
高圧線にかかったように
にわかにばたばた云いだした
馬は次の日冷たくなった
みんなは松の林の裏へ
大きな穴をこしらえて
馬の四つの脚をまげ
そこへそろそろおろしてやった
がっくり垂れた頭の上へ
ぼろぼろ土を落としてやって
みんなもぼろぼろ泣いていた
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一度読んだら忘れられない詩です
「熊笹」の実が貧農民の非常食だった
ということを知ってから
尚一層身に染みるものがあります
岩手県出身の宮沢賢治は
無類の馬好きでした
くしくも9月21日は宮沢賢治の命日
でした
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「馬碑」はいつも渡っていた空鞘橋の近くにあります

太田川で鳩がのどかに水浴び中でした




生き物と共に暮らすということを
今一度真剣に考えてみたいと思います
では、また、今度。