今回も続く、大塚国際美術館の作品情報~
従来の遠近法によらず
異なる複数の視点からとらえた
物体の形を一つの画面に描写し、
断片化された平面として再構成する
独自の表現方法を確立したパブロ・ピカソ
キュビズムは「立体派」と訳された。
非常に多作な芸術家としてギネス・ワールド・レコード
(ギネス世界記録)にも登録されている。
(本名が長いことでも有名ね)
ピカソの代表作「ゲルニカ」
スペインの内戦中の1937年に制作され、
ドイツ軍の激しい空襲を受けた
スペインの都市ゲルニカを題材としている。
大塚国際美術館で実物と同サイズの作品に面して
ピカソの強いパワーを感じました
ピカソはフランスを制作活動の場としていたが
スペインが生んだ世界的な画家である。
多作だった彼の美術的評価は
おおよそ20世紀初頭の数十年間で
青の時代(20歳~)
バラ色の時代(24歳~)
アフリカ彫刻の時代(26歳~)
分析的キュビズム(28歳~)
総合的キュビズム(33歳~)
超現実主義(44歳~)
などに分類されて、解説や議論が行われる。
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(☝この画像はお借りしました)
彼の作品で最も高額なのは
2015年5月11日NYのクリスティーズで
「アルジェの女たち」が
競売にかけられ、約1億7900万ドル
(約215億円)で落札された。
今後もオークションで価格が上昇すると
思われる巨匠である。
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~生い立ち~
父親は、美術教師だったのね
11歳で美術学校に入学か~
ピカソが13歳の時に父ドン・ホセは
息子への才能への称賛から
絵の道具を息子に譲り、
自らが描くことをやめている
(息子よ、半端ねぇ~と、叫んだかどうだか)
14歳で入った美術学校では
ひと月の制作猶予のある入学制作を
なんと1日で完成~
(ほんまに彼は、エネルギッシュやなぁ)
16歳で国展で佳作、地方展で金賞を受賞
(やはり、結果を出しているわね)
マドリードの美術アカデミーに入学するも
学校で学ぶことの無意味さを悟り、中退。
プラド美術館に通い、ベラスケスらの名画の模写
をすることで絵画の道を求めていく。
18歳で若い芸術家たちと交わりながら
熱心に絵を描く。
店のメニューをデザインしたり、
アールヌーヴォー調のポスターを描いたりした。
20歳で雑誌の編集にもかかわる。
パリで初の個展。「青青の時代」の始まり。
親友カサジェマスの自殺を契機に
青色を基調とした暗い画面で
悲哀に満ちた作品を描き出す。
その後、作風を変えながら
56歳で先の「ゲルニカ」を、怒りや悲しみ、
抗議を込めて一か月ほどで仕上げている。
その後、愛人が良く泣く女であったことより
「泣く女」をシリーズ化。
63歳で、共産党に入党。
65歳で画学生と共同生活を開始。
66歳で娘パロマ誕生。
73歳頃は、名作をピカソバージョンとして描く。
80歳で離婚に応じなかった妻のオルガが病死。
陶房の助手をしていたジャクリーヌと再婚。
92歳で南仏ニースの近くの自宅で肺水腫で永眠。
ほんに作風に影響が出るのも分かるくらい
ドラマチックな人生だったんやわ~
ということで、今回は自分でピカソのことをお勉強。
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ピカソの陶芸なのどの作品は
昨年、箱根美術館に行ったときに鑑賞。
大皿にしても、表も裏も凝っていて
こだわりの創作意欲に感激
箱根に旅行中、お泊りのディーン
お友達と仲良く過ごせてました、よし、よし
では、また、今度。