親子の関係『わが家の場合』① | 「ゼロポイント・アプローチ」フル活用♪辛い人生を卒業しよう!

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介護福祉のプロが20年以上の経験で悩み解決に全力支援。介護福祉士やケアマネージャーとして活動し、社)ワンストップ・シニアサポート協会理事としてめーぷる大井松田店で活躍中。

ある日の朝

 

 

パソコンを開くと

 

 

学校に行ったはずの

次男坊がそこに居た

 

 

朝から笑った おいで笑い泣き

 

 

 

こんにちは

 

 

ゼロポイント・アプローチインストラクター

らっちです

 

 

 

今日は

パソコンに

お茶目ないたずらを仕掛けた

わたしの娘や子供達の事を書きます

 

 

 

わたしの娘は

現在26歳

 

 

 

22歳で社会人になり

独立した娘

 

 

 

 

それこそ

娘が思春期の頃は

 

 

 

わたしも

シングルマザー

朝から晩まで働いていて

 

 

職場では

重責を担い

 

 

 

『結果を出さなければならない』

と自分にもスタッフさんにも

鞭打っていた頃

 

 

 

精神的に

全く余裕はなくて

 

 

 

子供達と

どんな風に過ごしていたのか?

 

 

 

一緒に過ごす時間も

本当に少なくて

 

 

 

記憶に残ってないのです‥‥ゲッソリ

 

 

 

川を流れる岩と岩が

濁流で激しくぶつかり合う様に

 

 

 

時にはリビングで

取っ組み合い

 

 

娘とは

度々

事故レベルな摩擦を起こしていました

 

 

 

ママみたいな母親に、わたしは絶対ならない!!

ママなんて大っ嫌い!!

 

 

 

そんな辛辣な言葉を

娘から言われた時もありました

下矢印下矢印

 

ママ

わたしをちゃんと観て

 

ママ

私を愛して

 

 

娘はそう言ってだんだよねタラー

 

 

 

 

当時のわたしは

長男や娘に対して

 

 

誰の為に

こんな大変な仕事をしてると思ってるの真顔?

 

 

誰のお陰で

こんなに不自由なく暮らせていると

思ってるの真顔?

 

 

 

わたしの苦労も知らないで

間違っているのは

真顔!!

 

 

 

文句言わないで

わたしの言う事を聞いていれば良い真顔上差し

 

 

 

わたしは間違ってない

わたしは正しい真顔上差し上差し

そう思っていました

 

 

 

口にはせずとも

そんなわたしの

ドロドロなエネルギーは

 

 

 

娘に

一滴も漏れる事なく

しっかり伝わっていた訳でして

 

 

 

 

 

ひどい。。

 

怖いわーおいで滝汗

わたし

 

 

 

筋金入りの

モラハラ親父ですよねー

 

 

 

 

そう

告白します

 

 

わたしは

完璧なモラハラ親父でした

 

 

 

わたしは

反抗ばかりする

娘が可愛くなくて

嫌いでした

 

 

 

その間も

それからも

 

 

紆余曲折

色々な事があり

 

 

 

今の夫と再婚して

ステップファミリースタート

 

 

 

後に

次男が誕生します

 

 

 

生まれ来た次男の存在は

わたしのみならず

家族にとっても大きくて

 

 

わたしも子供達も

小さくて儚い命を目の前に

 

 

ただただ

その存在そのものが

尊い事で在る事を実感しました

 

 

 

次男が誕生してしばらく経った頃

わたしの大切なメンターである『みやがわみちこ』さんの存在を知り

 

 

 

夢中で

みちこさんのブログを読みました

 

 

 

なんでも仙人さんから届くメッセージが

カチカチだったわたしの心に響いて

 

 

 

バラバラだった

ジグゾーパズルのピースが

 

 

 

一つ一つ組み合わさり

絵になっていく様に

 

 

 

以前に比べ

ぐっと家族の仲は

調和的に変化していきました

 

 

 

時には

長男や娘の進路など

 

 

 

こうあって欲しいと  

 

 

 

そんな道を選んだら

回り道になる

 

 

そっちじゃなくて

こっちの道を行きなよ

 

 

 

わたしの経験や価値観

エゴが先行して

過干渉になる事もありましたもやもや

 

 

 

 

生まれて来た次男坊は

赤ちゃんの頃から病弱で

 

 

 

3歳までの間に

4回の入院をしています

 

 

 

その4回目の入院で

 

 

原因不明の発熱症状があり

受診したところ

 

 

 

川崎病と診断されました

 

 

 

この薬が効かなかったら

横浜の大きな病院に転院して

免疫抑制剤を試す事になります

 

 

 

主治医からそう告げられ

目の前が真っ暗になった事

 

 

 

今でも

はっきり覚えいます

 

 

 

こんな小さな身体に

免疫抑制剤??

 

 

 

わたしは心から

 

 

子供の命を・健康を

神様に祈りました

 

 

 

どんな状態でもいい

生きていてくれさえいれば

 

 

 

その瞬間

稲妻が走った様に

 

 

ハタと気づく

 

 

 

次男だけじゃない

長男も娘も

 

 

 

 

どんな状態でもいい

 

ただ存在してくれる

それだけで

いいんだよー

 

 

彼等を授かった時に

そう思ったはずなのに

 

 

女手ひとつ

長男・娘をわたしが育てなければならない

 

 

ガリガリ仕事ばかりしていて

 

 

大事な事を

すっかり忘れていました

 

次男坊は幸いにも

大事に至らず一週間で退院しまして

 

 

 

今では

風邪ひとつひかず

 

 

ぽっちゃり

元気に過ごしております

 

 

 

 

次男坊の4回目の入院は

一見すると不幸な出来事の様にみえて

 

 

 

 

 

ママ!!行く道が違うよ

 

 

ママ思い出して!!

 

 

ぼくも

にいちゃんも

ねーねも

 

 

存在そのものが尊いんだよ!!

 

 

 

わたしに

自分の命を持って

渾身のメッセージを届けてくれました

 

 

 

 

稲妻が

わたしを貫いた瞬間から

 

 

 

子供達に対して

かける言葉や行動が

自然と変化していきました

 

 

 

その後

ゼロポイント・アプローチと出会い

 

 

 

わたしや家族の幸福度は

更に上昇していきます

 

 

 

たまには

ケンカもするけれど 笑

 

 

今では

何でも

相談し合えて

 

 

 

熱湯でもなく

氷水でもなく

 

 

程よい温度な

チーム家族になっています

 

 

 

ちょっと

長くなりそうなので

 

 

 

続く

 

 

 

 

最後までお読みくださいまして

誠にありがとうございましたクローバー