◎先日のソーメンのリベンジ、「もう一回 釈迦ヶ岳へ」ということで歩きは決めた。大阪からこの登山口まで3時間ちょっと時間がかかる。距離は130キロしかないが、京奈和自動車道、五條より先は高速道路がなく、そのぶん時間がかかる。もう40年近く前のことだが、東吉野に家がある桝井君が、「家まで 1時間半」と言っていたが、何度挑戦してもそんなに早くいけない。多分、彼は夜の遅い時間に茨木を出て、近畿道、西名阪道、針ICで降り東吉野村役場付近の実家までというコースだと思う。余談だが、今年もソーメンを注文した。9キロ送料込みで8100円と大負けに分けてくれる。

◎もう石ころは踏まないぞとゆっくり走った。車を止めて4時間もいたのに、何処だったかなとわからないものである。地面に散らばった尖った石も少なく、帰りも順調にエンジンブレーキを効かせて車を走らせた。

◎これを書いている今、アトリエの温度は37度、この温度になると体力気力が衰え、思考が鈍り、ボッとした状態になる。早く身体が慣れてくることを待つばかりである。

◎登山口の駐車場で車を降りた時点で、標高1500M、とはいえ太陽のギラギラがアスファルト舗装に照り帰り、「暑いねえ」である。靴を履き替え、ザックにソーメン用の水を5リットル入れ歩き始める。森林地帯に入るとやや涼しい風が吹いてくる、「さすが 涼しいねえ 気持ちいいねえ」である。

◎異常な暑さ、危険な暑さ、予報士が淡々と言うが、35度を超えると暑い。夜も25度を超えると暑い。我がアトリエは冬涼しく夏暖かい、と冗談で言っているが部屋が広いぶん、天上が高いぶん、温度の制御は難しい、クーラーをかけてもおいそれとは冷えないので、教室の無い時はあまりかけていない。ある方が、「寒いぐらいにクーラーをかけ 布団をかぶって寝ると快適である」「いやあ うちは かるーく扇風機で快適に寝られるよ」皆さん快適を自慢されるが、10年20年、夏の暑さが高くなってきていると実感する。

◎膝ぐらいの高さの笹の間に登山道が見える。このあたりは倒木が多い、でっかい樹が倒れ年数がたって白骨化している。横倒しの根っこの直径が3メートルを超えている。よそでは樹が倒れると腐り、苔やキノコ類が繁殖し、少しづつ崩壊していくが、ここのはなぜか白骨化である。今日もまた鹿を見た、逃げないのかなと思ってオレが動くと慌てて飛びあがり逃げて行った。

◎黒い服は、蜂の攻撃を受けやすいのかと問われ、聞いたことがあると調べてみた。どうも本当の様で、黒い色の服装は攻撃されやすいようだ。理由として考えられるのは、蜂の天敵が黒い熊、蜂を食べる東洋人の黒髪、動物の急所が黒い色をしている、などらしいが決定打ではないようだ。

◎偽説:もっともらしい話。筆頭格は、義経ジンギスカン説である。源平合戦のヒーローである源義経が蝦夷地(北海道)に逃れ、樺太経由で大陸に渡り、現地のモンゴル人を束ねジンギスカン(ジンギス・ハーン)になったという話、これも聞いたことがあるねえ。源義経→ゲン・ギ・ケイ→チン・ギス・・・。

 竹内巨麿:宗教家:神武天皇以前に、古代文字があり、天皇が全世界を支配していた。釈迦・モーゼ・キリストが日本を訪れ、天皇の教化を受けていた。ゴルゴダで処刑されたのはキリストの弟で、キリストは日本で没した。絶対に錆びない“ヒヒイロカネ”という金属があり、麻原彰晃もそれを探しに行ったという逸話もある。

日(日本)ユ(ユダヤ)同祖論:これも偽説のひとつである。日本人は2700年前アッシリア人に追放されたイスラエル人の一族である。明治期来日したスコットランド人が日本と古代ユダヤの相似性の調査を進め、日ユ同祖論を提唱、体系化した。ウキペディアでは偽説として長々と解説している。

◎さあ ソーメンタイム、日陰がいいということで尾根道から少し斜面を下ったところで陣取った。バーナーに火を点けボールでも入りそうな大きな鍋に水をドボドボ、「お 湧いてきたよ」ひとり二束ずつの六束をパラパラと入れる。「ちょっと 水が 少ないか 箸で 時々 かき混ぜて」「このソーメンは 固い 2分半だ」桝井君のソーメンは他所に比べ固いそうだが、最近はこの手しか食っていないので皆さんのいうことを参考にした。何度もざるに上げては洗い、最後に、湧水を組んできていただいたので、その冷たい水をくぐらせるといい塩梅に冷こいソーメンができた。すぐき、錦糸卵、ネギ、みょうが、生姜、をかけて美味い、それにシュウマイ、焼き鳥まであった。