三浦祐之著<口語訳:古事記>

◎さあ、ここからは初代天皇となるカムイヤマトイハレビコが、九州から奈良の樫原に向かって進む話、八咫烏も出てくるよ。

◎先生:古事記は天皇家の歴史を語っている。天皇や朝廷に従順なものだけが正しいと語られる。そらそうだね、自分に逆らったもの、自分より優位なもの、自分を虐めた輩、そんなモノたちを良くは言わない、そらそうだ。

◎“浪速の渡”“白肩の津”“盾津(日下の蓼津)”“血沼(ちぬ:和泉地域)大阪湾のどこからしいが場所はわからないらしい。2000年近い昔、生駒の麓が海岸であったとか、今の大阪平野は全部海だったとか・・。

◎イハレビコは兄イツセと二人で浪速の辺りにやって来た。登美に住むナガスネビコ(トミビコ:ともいい奈良西部の豪族、東征に最も激しく抵抗した一族)が戦の備えをして待ち迎え挑んできた。兄イツセが矢を受け、「賤しい奴(やっこ)に手傷を負わされて 死んでしまうのか」と言うて、雄叫びして死んでしもうた。

◎東征ルート:近畿に入ると俄然、何処だと詳しく知りたくなって地図を見ている。最終地点が奈良の橿原なので、陸路で一番近いのは三重県の伊勢に近いあたりだそうだがわかっていない。まずは和歌山市あたりに上陸し、それから紀伊半島の海上をぐるり反時計回りに、最南端の串本から、新宮、熊野、尾鷲と進み伊勢に近い何処かに上陸したということのようだ。

◎さて、兄に死なれたカムヤマトイハレビコは、そこからも巡り行き、熊野の村に到りついた時に大きな熊がふと現れ出たかと思うと、たちまち姿を消してしまった。すると、カムヤマトイハレビコはにわかに病に襲われ、つれておった軍人どもも、みな倒れ臥してしまった。

 すると、この時、熊野のタカクラジが、ひと振りと太刀を持ち、天つ神の御子が病に臥せっているところにやってきて、その太刀を奉った(たてまつった)ところが、天つ神の御子はすぐに目覚め(たちまち元気になって)「長い間 寝てしまったことよ」といった。

 そして、その太刀を受け取ったかと思うと、あの熊野の山の荒ぶる神は、手を下すまでもなく、皆おのずと切り倒されてしまった。そして、倒れ臥せておった軍人どもも、ことごとく目覚めた。

◎この太刀の名は“サジフツ”“ミカフツ”“フツノミマタ”三つも名前が在って石上神宮にあるそうだ。石上神宮は物部氏の斎を祀る神社。石上神宮は朝廷の武器庫としての性格を持ち、国宝七支刀もある。

◎七支刀:しちしとう:ななつさやのたち:百済:ペクチェで製造された。表裏に60ほどの金象眼の文字があり、おおよそ解明されている。「百済王が臣下たる倭国に渡した」と解釈される。369年製造。物部氏は6世紀には蘇我氏に敗れ消えていった。

◎カムヤマトイハレビコと軍人(いくさびと)たちの一行だけかと思ったが、天からいろいろな援助や指令が見える。突然現れた太刀によって、倒れ臥していた皆が生き返り、「よく寝たな」ということになった。天つ神の御子が太刀を得た故を、タカクラジに問うた。

◎タカクラジは答えて、次のごとくに見た夢の話しをした。シャーマンのタカクラジが、夢のお告げで太刀を見つけた。

◎私はつぎのような夢を見ました、そして無事に太刀を手に入れ、差し上げたのでございます。

 アマテラスの大神とタカギの神との二柱のお言葉で、タケミカヅチ(オオクニヌシを服属させた武神)を呼び出して仰せになりました。

「葦原の中つ国はひどく騒がしいありさまである わが御子たちも苦しんでいるらしい その葦原の中つ国というのは 先にすっかりと 汝を言い向け平らげた国である ゆえに なんじタケミカヅチよ 降り行け」

 すると、タケミカヅチは答えて、

「我が 降らなくても ただ この国を平らげた太刀さえあれば 事足りるので、この太刀を降ろし与えてください そして この太刀を降ろすさまは タカクラジの倉の屋根に穴を開け そこから落とし入れるのが よろしいでしょう」