◎9:45登山口から登り始めた、涼しい、大阪の蒸し暑さが嘘のようだ。ここは二度目、階段下に登山届を出す箱がありそれに書き込んだ。横にはトイレがある、どなたかが掃除をしてくれている。昨夜、山の天気予報を見たが、気温は大阪の35度に比べ20度しかない、ただ登山にはやや不向きとなっていたが、多少風が吹いているだけで涼しいぐらい、丁度いい。斜度のゆるい尾根道、大きくポコリンの尾根道、木の根っこがグニュグニュ地面をおおっている。蛇様だねえと思いながら、先日発見された蛇行剣の話。

◎奈良の富雄丸山遺跡から大形の蛇行剣が出土した。考古学の世界では、「謎の四世紀」というらしく、この時代がわかっていないそうだ。倭の五王がいて、卑弥呼がいたのは三世紀。弥生時代は3000年前~3C半ば、古墳時代は3C半ば~6Cと大雑把に聞いたとして、天孫降臨の時期は?中百舌鳥の大仙古墳の時期は?と古事記を読みながらいつの時代のことかなとも考える。ま、神話のことだから気にしなくてもいいかとも思ってしまう。この遺跡はまさにその謎の四世紀のモノらしい。

 220センチ超えの蛇行剣。蛇行とはいえ、見た目2~3センチぐらいの蛇行かな。歴史的大発見らしい。剣は突くもの、刀は切るもので、この蛇行剣は両方の性質をもった祭器らしい。話は脱線。

◎朝6時出発、6時半大日の予定だった。5:40に難波さんが自転車で来てくれたので、「それじゃ 自転車おいていただき、荷を載せていただき、出発しましょう」と早めに走り出した。東高校あたりで盛んにスマホが鳴る、「なにかいな 運転中は 出られないよ」と思いつつ車を止めた。ひろみさんから、「家を出ようとしたら ぎっくり腰 伝い歩きしかできない」というラインが入っている。ここまで来たら大日の横を通って、近畿道、南阪奈道を行きましょうと車を進めた。

◎ソーメンの話:前日に、「ゆっくり山なので ソーメンでもしましょうか」という話が進み、オレがソーメンとコンロ一色、ひろみさんが“ぶっかけだし:これは楽しみだったが味わえなかった”と薬味、そう分担が決まっていた。「高速に乗るまでに ソーメン汁を 手に入れよう、薬味は 我慢する としても」と2件コンビニに寄ったがない。「ひろみさん宅まで 取りに行けば よかったか 遠回りになるか」思案の末高速に乗った。奈良の五條ICで降り168号線を和歌山方面走らせた。昨日ソーメン汁を買ってザックにいれていたが、「ぶっかけだし 用意したよ」と聞き、持っていくと失礼かなとザックから出した。まだ朝の7時過ぎで食料品店は無く、ローソンは何軒もあるが出汁系は売っていない、やっとファミリーマートを発見、これはソバ出汁、こっちがソーメン出汁なんて言いながらお目当てをゲットして、難波さんが持ってくれた。

◎同道の難波さんが、「おおお ここは素晴らしい きれい 前回の 大台ヶ原もよかったけど ここも素晴らしい」と感嘆の声を上げておられる。そう言われあらためて見てたしかに綺麗、まったりしたポコリンが続く、膝ぐらいの笹が草原を思わせる、樹々がまばらで見通しもいい、白い雲が半分ぐらいの青い空、いいねえ、きれいねえ。前回来た時はさほど思わなかったが、ここもいい感じの尾根道だ。

◎水場に近づいたが、水がポチャリぽとりとソーメンを食べるには勢いがなさすぎる。水が豊富でないのはわかっていたので、1.5リットルを担いできた。登山口から30分ほど登った時に、「あ 忘れた」と声がした。「なにを」「ソーメン汁」「え・・」唖然としたがもう引き返せない、「あちゃ~」である。おにぎりを二つ買っていたのでよかったが、全山行程がシャリばて気味である、飯がないのは辛い。

◎釈迦ヶ岳山頂にやって来た。この観音さんは我が友人の水島さんの爺様が寄贈したとか、帰ったらまた写真を送らねばと思って記念撮影をした。

◎白黒の太い幹、ブナのような模様の幹だけれど葉はカエデ調、その緑も笹の緑もいい、深仙の小屋がチラリ見える、釈迦ヶ岳は1800Mもある、深仙は1500M、水場があり池と水溜まりが2か所ぐらい、ここはどこでもテントが張れるなと思いながら山を楽しんだ。簡単にさっと上り下りと思っていたが、それなりにエンヤコラおおいに楽しんだ。シャリばて気味も、袋に入ったかりんとうを、柿の種を、そんなこんなをポリポリやりながら3時頃に車に帰ってきた。まずはスマホの山地図を保存、6時過ぎるかなと家族に連絡、靴を替え出発した。はちみつが買えたらいいねえ、なんて話しながら・・。